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27.しょうこへ #2【たった一人の読者】

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注意:この作品はフィクションです。実在の人物、団体とは一切関係ありません。

喧騒の後

店内では、後に残された山田のお母さんと、あと2人のスタッフがあっけにとられていた。
「びっくりしたあ。一時はどうなることかと思ったわ。」
「それより、店長が行ってしまったら、あとお店どうしましょう。」
「アホか!それどころかあるかい。ホンにナンも考えんと飛び出してしもうてからに、あん人は。そや、それより警察や。はよ、電話して。」
「えっ、私ですか?でも、何て言うんですか?凄く怖い不良の2人組みにうちの店員が追いかけられて、それをうちの店長が追いかけていっちゃいましたあ、っていうんですか?」
「そうやな、あのオッチョコチョイ、後先考えんと飛び出したな。」
「でしょ、でしょ・・・逆に怒られちゃいますよ。」
「もう、そんなこと言うてる場合かいな。電話機、貸しい。うちが電話したる。」
「でも、あんな怖い人達に関わって、店長にもし何かあったらどうしましょう。」
「そや、こんな時におるやないか?」
「誰です?」
「そやから、北野君や。今日どうしとる?」
「昨日は遅番だったから、まだ寝てるかも知れませんよ。」
「ええわ、こんな時にたよりになるんはああいう男や。すぐ来てもらお。
それより、あんたら、お客さん待たせてるで。」
「はい。」

通話

慌てて店を飛び出した深結稀(みゆき)であったが、完全に祥子(さちこ)と男子2人を見失っていた。
(しまった・・・私がついていながら。どうしよう。)
深結稀は、彼らを見失った路地の前で途方にくれて立ち尽くしていた。
そこに、荒い男子の喚き声が聞こえてきた。深結稀は、ハッとして物陰に身を潜め、身体を固くした。
「くそお、あの女どこに行きやがった。」
「ヒロくん、あの店に戻って、くそ生意気なおばはん締め上げてやろうか。」
「やめとけ、どうせ今頃警察を呼んどるやろ。それより、急いであいつら呼び集めて、この辺をしらみ潰しにしろ。」
「わかった。」

(良かった、捕まらなかったんだ・・・。でも、このままじゃあ。)
やがて、バタバタと男子たちが駈け去る音を聞いて、急いで深結稀は携帯を取り出した。そして、慌てて祥子の連絡先を呼び出そうとして、始めて手の震えに気がついた。無理もない。さっきまで想像もしなかった非日常が、急に目の前に現実となって現われたのだ。
やっと、祥子の携帯番号を見つけて、電話をかけた。
(お願い、出て・・・。)
プルルルル、プルルルル、プルルルル・・・コール音とコール音の間が長く感じられる。そして、10回目に「ただいま電話にでられません・・・」と留守番電話の案内がうつろに流れた。
深結稀は一度電話を切ると、深呼吸してもう一度かけ直した。
プルルルル、プルルルル、プルルルル・・・4回目、「プッ」と音がして応答に切り替わった。
「店長お・・・。」
祥子だ。(良かった。)
「さっちゃん、大丈夫?今、どこにいるの?」
「店長お、わたし・・・。」
「落ち着いて。あなた大丈夫ね。」
「大丈夫だよ。」
とは言うものの、すっかり声がうわずっている。
「良かった。今どこにいるの?」
「あのね、2丁目の焼き鳥屋さんあるでしょ。その横の路地をずっと入っていって、電車の線路の下をくぐったところの倉庫なの。」
「その中にいるのね?」
「うん。鍵がかかっていなかったから、中に入って隠れているの。」
「わかったわ。いい?そこを動かないでね。今行くから。それからね、見つからないように奥に隠れているんだよ。」
「うん・・・。」
「すぐ行くから、落ち着いてね。」
「ねえ、電話切らないで。」
「えっ?」
「電話切らないで・・・ひっ、ひくっ・・・。」
祥子が電話の向こうで、しゃくりあげ始めた。
まずい、このまま取り乱して、大きな声を上げでもしたら、彼らに見つかってしまう。
「わかった、切らないから。だから、落ち着いて。」
電話をつなぎながら、深結稀は小走りになった。

「あのね、店長う・・・。」
「深結稀でいいわ。」
「あのね、深結稀さん。昨日ね、絵梨が来たんだ。」
「絵梨って、ひょっとして、あの前店に来ていた子?」
「そう、あのね、絵梨は中学生からの友達なんだ。わたしね、中学生のころもクラスに溶け込めなくて、みんなから浮いてたんだ。そうしたら、絵梨もあんなだから、いつも2人だけでつるんでいたんだよ。」
深結稀は、祥子が落ち着けるようしゃべるに任せていた。
「高校では別の学校になったんだけど、しばらくは週に一回は会って遊んでいたんだ。でも、そのうち絵梨には彼氏ができて、なかなか会えなくなったんだ。」
「あの、ヒロトって子ね。」
「前からヒロトには、かなり危ないってウワサがあったの。とても心配していろいろ言ったけど、でも絵梨はすっかり舞い上がっちゃって。そうしたら、ヒロトに言われて、わたしにお金を借りに来るようになって・・・。そのたびにもの凄く怒ったんだけど、全然駄目で。」
「そうだったの。」
「そうしたらね、昨日うちに来たんだ。ひどい顔で。顔や腕にひどい痣やみみず腫れがあったの。お父さんに見つからないように二階に上げて訳を聞いたら、『ヒロトから逃げてきた』っていうんだ。あの子、ヒロトに貢ぐためにいろんな友達にお金を借りてたら、だんだんと友達とも気まずくなって、『もう勘弁してくれ』って頼んだら、ヒロトはもの凄く怒って、絵梨を叩いたり殴ったりしたんだ。そして、『金が持ってこれないのなら身体で稼げ』って言われて。だから、もう絵梨は耐え切れなくなって、隙を見て逃げてきたんだ。」
「あの子たちは、その絵梨さんを探しているのね。今も、彼女はあなたの部屋にいるの?」
「うん、腫れがひいたらこっそり家に帰すつもりだったけど、こんなことになっちゃって・・・。」

と、その時、「コラあ、そこに隠れとるんか」という荒い声が電話の向こうから聞こえてきた。そして、急に「ブチッ」という音を残して電話が切れた。
(さっちゃん、見つからないで。)
深結稀は早鐘を打ち始めた心臓にせかされるように全力で駆け出した。

大立ち回り

(あっ、あった。焼き鳥屋さん。この路地の奥ね。)
路地を奥へ進むとだんだんと人気のない寂しいところへ入っていく。こんなところで見つかったら、それこそ袋のネズミだ。
(どっちかな。右は、あっ、行き止まりか。左は、あった、トンネルだ。)
電車の高架下のトンネルをくぐると100メートル先に倉庫が見えた。そして深結稀は息を切らしながら最後の100メートルを全力で駈けた。

「イヤあ、イヤああああ。」
倉庫の前で急に甲高い少女の悲鳴が響いた。
(さっちゃん・・・!!)
深結稀は、たまらず後先考えずに倉庫に飛び込んだ。
倉庫の中には、5、6人のワルそうな男子高校生が、祥子を取り囲んでいた。その輪の中心でヒロトが祥子の髪の毛を掴んで引きずり回している。男子達に引きずり出された祥子は顔を真っ赤にして泣き叫んでいた。
「ちょっと、あなたたち、女の子になんてことするの。」
思わず声を上げた深結稀に男子達が一斉に振り返った。
「なんだテメエは。」
「でてけえ、コラア!!!」
口々に汚い言葉を吐き出す男子たちにもひるむことなく、深結稀は脱兎のごとく駆け出した。そして、あっけにとられている男子達の間をすり抜け、ヒロトに肩から体当たりを食らわせた。
虚をつかれたヒロトは、バランスを崩して祥子の手を離し、さらに無様にしりもちをついた。そして、顔を醜く曲げて歯を剥き「何しやがるんだ、テメエ」と怒気を発した。
深結稀はそのまま、祥子の頭を庇うように覆いかぶさった。
「み、深結稀さあん・・・ひっ・・・。」
涙に顔をくしゃくしゃにして、祥子はやっとそれだけ言った。
よく見ると右の頬がひどく腫れている。ひきずりだされる時に激しく殴られたのだ。
「帰るわよ、さっちゃん立てる。」
深結稀は祥子を励まして立ち上がろうとした。
そこへ、立ち上がったヒロトが深結稀の背中からバーンと蹴りを食らわせて、2人を地面に転がした。

「おいっ、金属バット貸せや」
暗く低い怒気のこもった声でヒロトが仲間に命令をした。
「ヒロ君、それはちょっと・・・まずいよ。」
「テメエ、俺に逆らうとお前からやっちまうぞ。」
怒りに我を忘れているヒロトに恐れた仲間は素直に金属バットを渡した。
深結稀は恐怖で魂が冷たくなるのを感じていた。そして、ただ歯を食いしばって眼を閉じ、固く固く祥子を抱きしめた。
ヒロトは、醜く顔を歪めて金属バットを掴んだ腕を後ろ一杯に振り上げた。そして、まさに振り下ろそうとしたその時。
ヒロトがこちらに向かって来る角材を眼の端に捉えたと思ったら、その角材が以外に伸びた。グングングンと何メートルも伸びたように思えた角材が、その刹那、金属バットを掴んでいたヒロトの拳を激しく打った。

「グキッ」鈍い音がして、ヒロトがうずくまった。拳が砕けたのだ。
気をのまれて、あっけにとられた男子たちに向き直ったのは北野であった。
「もうやめないっすか?子供相手に本気を出すと怒られるんだよね。」
だが、むしろ男子達はその言葉に景色ばんだ。
そして、獲物を持っている2、3人が歯をむき出して、北野を取り囲んだ。
「かかってきたら遠慮はしないよ。」
北野は角材を構えて男子達を威嚇した。
それに気おされて男子達はジリジリと後じさり始めた。
たまらず、後ろの2、3人はバラバラと倉庫の入り口に向かって走り始めた。
ところが、そこに2人の警官が現われて、彼らは動けなくなった。
「おい、お前ら何をしている。」
山のような体つきの警官たちを見て男子達は、すっかり戦意を失ってしまったのだ。

その後

それから3日後、深結稀と北野は緊張した面持ちで、本社の社長室前に立っていた。
「店長・・・、緊張してますか。」
「あ、当たり前よ。あんなことがあって、しかも警察で事情聴取までされて。そしたら、いきなり3日の自宅謹慎よ。そして謹慎開けに社長に呼び出されてるんだから。」
「店長、結構タフッすねえ。あんなことがあった後に、そんなことを考えている余裕があるんだから。正直殺されることろでしたよ。」
「北野君、今更だけど本当に有難う。あなたは私たちの命の恩人だわ。」
「そうですよ。普通順番が逆でしょ。祥子ちゃんの後を追いかけたまではいいっすよ。そして、高校生達と祥子ちゃんがいる場所を突き止めたら、普通そこで警察に連絡ですよ。」
「もう、君もあの場にいて御覧なさいよ。うちの子が髪を掴まれてひどいことされてるのよ。飛び出すなって言うほうが無理よ。」
「でも、おかげで警察で物凄く怒られたでしょ。『そういうことは警察に任せるように』って。」
「君だって一緒でしょ。同じ一般市民なんだから。でも、高校生に大怪我を負わせてるのによくアッサリ放免されたわね。」
「そんな、おおげさっすよ。ちょっと、手の甲の骨を砕いただけじゃないすか。それに、警察には剣道の師範としてよく通ってるから、知り合いばっかりっす。『北野師範の勇気有る行動には感服しました』って感謝までされたんですから。」
「へえ、達人だって噂だったけど、そこまでとは思わなかったわ。知ってたら、何をおいても君に連絡をしたわよ。」
「そうですよ、これからお願いしますね。それに聞けば、親御さんにも連絡していなかったそうじゃないですか。店長、意外にリスクマネジメントに弱いですね。」
「もう思い出させないで。向こうのお父さんにも、ものすごく怒られたんだから。」
「でも、祥子ちゃんがきちんと説明をしてくれて、最後はお父さん店長の手を握って男泣きしていたでしょ。」
「でも、そう言えば、どうして北野君は私の居場所がわかったの?」
「まあ、途中電話してもずっと話し中でしたからね。でも店長、何遍も言って悪いですけど、本当にオッチョコチョイすね。いいですか、本部には緊急事態に備えて全店長の携帯を追跡するシステムがあるんですよ。山田のお母さんから『あん子どこ行ったか分からんようになってしもうた』っと電話があったんで、すぐに本部に電話して居場所を調べてもらったんですよ。あとは、ずっと本部に誘導してもらって倉庫まで駆けつけたんです。」
「さすがあ、こういう時、男の人ってたよりになるのね。」
「まあ、店長の一大事だったから、張り切ったっていうのもあったんすけど。」
「えっ、どういう意味?」
「まあ、いいです。忘れてください。」

やがて、カツカツと響くハイヒールの音に振り返ると、エリアマネージャーの澤木律子の姿があった。
「澤木さん、このたびは本当にお手を煩わせて申し訳ありませんでした。」
「本当に・・・あなたたちは馬鹿な・・・。」
怒りかけた律子だったが、急に言葉を詰まらせた。
そして、深結稀に歩み寄ると、肩を強く抱いて、「本当にごめんなさい。あなたには取り返しのつかないことをするところだったわ。」と涙声に詫びた。
「澤木さん、謝らないでください。悪いのはわたしの方なんです。」
深結稀もすっかり恐縮して律子に詫びた。
やがて、律子は深結稀から身体を離し、北野に向き直ると彼にも深々と頭を下げた。

「失礼します。澤木です。社長よろしいでしょうか。」
律子が扉の向こうに声をかけると、「どうぞ」と社長室の奥から低い声が響いた。
いつもと比べると、かなり機嫌が悪そうだ。
さっと、深結稀と北野の顔に緊張の表情が現われた。
「店長、僕らどうなるんでしょうかね。」
「あなたは、大丈夫よ。」

律子に続いて、深結稀と北野は社長室に入った。
そして、律子が開口一番、「社長、このたびはたいへんご迷惑をおかけしました。すべて私の責任です。」と頭を下げた。
思わず、深結稀と北野も「申し訳ありませんでした。」と頭を下げる。
社長の都城は不機嫌そうにそれを聞いていたが、やがて重い口を開いた。
「まずは、君達の身に何もなくて何よりだ。それに、君達のような侠気あふれる行動は私としても嫌いではない。
ただ、私は多くの社員を預かる企業家だ。その立場で言わせてもらえるならば・・・だ」とそこから都城の長い説教が始まった。

まず、深結稀に対しては、相手が札付きのワルということで警察も同情してくれたこと、相手の高校生やその保護者にも弁護士を通じてもう2度とこのようなことをしないようにしっかり脅しつけたこと、また幸いにして今回のことが一切表ざたにならなかったこと・・・は良いとして、
一つ、会社を代表する店長としてこのたびの行動は実に軽率だった
二つ、会社や 警察に対し適切な報告を怠り、関係者を危険にさらした
三つ、自分の不注意で何日も謹慎を受け、その穴を埋めるために澤木を東奔西走させた
四つ、早い時期から問題に気づきながら、相談を怠り今回のような事態を招いた
都城が指を折りながら数える失態を深結稀は冷や水を浴びせられたような気持ちでうなだれて聞いていた。
北野には、子供相手に大立ち回りを演じ、ましては相手の高校生に大怪我を負わせるとは何事か!と大きなカミナリが落ちた。
と、ここまでまくし立てると都城は口調を変えて、「とまあ、ここまでが俺の経営者としての建前だ。問題はあったが、俺は君達が立派だったと思っている。せめて、2、3日ゆっくりしてもらおうと謹慎をプレゼントしたがゆっくり休めたかね。」
「社長、あまり彼らを苛めないで下さい。さっきまで2人とも死にそうな顔をしていたんですから。」
「いや、失敬、失敬」そう都城は愉快そうに笑った。

たった一人の読者

「いやあ、冷や汗かいたですね。」
「ほんと、一時はどうなることかと。」
「2人とも今日からまた頼むわよ。」
「はい。でも、澤木さん、あの後、祥子さんのところへは行かれたのですか。」
「ううん。やっぱり我慢した。もし『母親です』って出て行ったら、余計あの子を傷つけてしまうわ。」
「そうでしたか。でも、今回のことでは少し失敗しましたけど、お嬢さんは困っている友達をほおって置けない真っ直ぐで正しい娘さんに育っています。」
「それに私がいなくても、あの子にとって母親以上の存在が傍にいるんですもの。」
「それ、店長のことですか?
ん?ちょっと待ってください。澤木さんと祥子ちゃんはそういう関係だったんすか?ひどいなあ、そうならそうと言ってくださいよ!」
「あれっ、今頃気がついたの?鈍いなあ。それに、このことはさっちゃんにもモチロン、お店の人にも絶対内緒だからね。」

律子と別れた2人は、エレベーターで本社が入居しているビルの1階のフロアに下りてきた。
その入り口の植え込みに祥子がうなだれて座っていた。
「あっ、さっちゃん・・・」
声をかけると祥子は立ちがると2人の方に駈けて来た。
「ねえ、さっちゃん、もう身体は大丈夫なの?」
「深結稀さん、本当にゴメンナサイ。みんなわたしの所為で。まさか、深結稀さん、お店をやめさせられたりしないよね。」
「大丈夫よ、かなり怒られたけど、社長もちゃんとわかってくださって、一切お咎め無しよ。」
「よかったあ。でも、わたしは?んやっぱりわたし、辞めなきゃいけない?」
「大丈夫よ!あなたは正しいことをしたんだよ。ただ、もうちょっと大人を信用して欲しかったけどね。ホラ、胸を張りなさい。」
「ありがとう、深結稀さん。」
「でも、どうしてそんなにうちの店がいいの?他にももっと楽な職場はあるだろうに。」
「ううん、この会社がいいの。この店じゃなきゃ嫌なの。」
「そりゃ嬉しいけど、どうして?」
「だって、深結稀さんがいるから。」
「店長、コクられてるんすか?モテモテですね。」
「こら、北野君、からかわないで。」
「ううん、深結稀さんがいるから働きたかったんだ。」
「そんな面識もなかったのに、どうして私のいる店がいいって思うわけ?」

「深結稀さんのことは3年前から知っていたわ。」
「えっ、そのころ会ったことあった?」
「会ったんじゃなくて、ブログで知ったの?深結稀さん、いつもブログで『しょうこへ』って呼びかけているでしょ。」
「えっ、まさか、そんな・・・いつも見てくれているの、さっちゃんだったの・・・・。」
「そうよ。わたしの名前の祥子は『しょうこ』とも読むでしょ。小さい頃の記憶だけど、お母さんと一緒に暮らしていた時、いつも家では『しょうこ』って呼ばれていたの。そのお母さんとは、お父さんと離婚してから会えなくなっちゃったけど、ブログで『しょうこへ』と書いてあるのを見て、きっとこれはお母さんだ、お母さんがわたしに読ませるために書いてくれているんだ、と思うようになったの。」
聞きながら深結稀の胸はだんだん熱くなってきた。
「読んでるうちにこの人がブログに書いているのは、都城珈琲の新町店のことだって分かったの。もしかしたら、お母さんかも知れないと、しばらく通ったけど、それらしい人は居なかったわ。でも、ある時、ブログで深結稀さんが女子高生と話をしたことを書いていたよね。その時の女子校生が私だったの。それで、ブログを書いている人が深結稀さんだって分かったけど、お母さんしては年が若いし。
でも、わたしね、いつか深結稀さんと一緒に働きたいって思うようになったんだ。」
しかし、深結稀は祥子の言葉を聞き終わると、その場にしゃがみこんでしまった。
そして、両手を顔で覆って、いくら北野が声をかけてもしばらく動こうとはしなかった。

幸せな時間

その日の夜11時。
また、いつものように深結稀は灯りを落としたフロアの窓辺でパソコンに向かっていた。
「しょうこへ
もうどれくらい、お母さん、あなたに呼びかけているでしょうか。
本当は、この呼びかけがあなたに届いていないんじゃないかって、寂しく思っていたの。
でも、今日あなたは別の女の子に姿を変えて答えてを返してくれた。
だから、お母さん、いつまでも、いつまでもあなたに向けて書きつづけるわ。
とても大切なわたしのしょうこへ。」

(おわり)