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21.彼方からの伝言 #3【母のそれから】


注意:この作品はフィクションです。実在の人物、団体とは一切関係ありません。

母のそれから

それから、一週間後、泉本百合の代理人の北里弁護士から、また接見を求める連絡があった。
今度は、弟と2人、市内のホテルで会いたいと言う申し入れだった。
「どうする?」
私は弟に聞いた。
「俺、悪いけどパス。」
予想していた答えだった。
あのことは心の中に深く沈めて、そのまま葬りたいのだろう。そして、それが彼なりの過去との向き合い方なのだ。
「じゃあ、私だけ行くね。」
「無理しなくてもいいんだよ。」
でも、私には弟とは違う事情がある。
あの日の母親をずっと光として生きてきた、と言う事情が。そして、そのことに向き合わなければ、これからも生きては行けない気がしていたのだ。

ホテルには、少し早く着いた。
吹き抜けの高い天井。あまり見上げていると、後ろにひっくり返りそうだ。
こんな穴をあけておくなら、部屋にすればたくさん泊まれるのに、そう誰もが素直に思う疑問を、私も例外なく持った。
その時、斜め後ろから急に声をかけられた。
「お待たせしました。」
「あっ、はい。」
ホテルの吹き抜けを思いっきり仰いでいた私は、いきなり虚を突かれて、調子の狂った返事を返した。
「あ、すみません。驚かすつもりはなかったんですよ。」
少しバツの悪い思いをして振り返ると、そこには、前回と同じく隙のない服装に身を固めた弁護士の北里が立っていた。
「さ、こちらへ。レストランが予約してあります。」
そして、北里弁護士は私を、フロアと同じ階の洋食レストランへと誘った。
昼の時間までには間があったので、彼はコーヒー2つと、私にはあとスイーツをオーダーした。
「ここのスイーツ、評判なんですよ。だから、一度あなたにも食べて貰いたかったんですよ。」
弁護士は、ソツなくそう口にする。
私は、と言えば、彼の向かいの椅子に少し居心地が悪そうに身を縮めていた。
「少し気持ちの整理はつきましたか。」
「はい、おかげさまで。」
「この前は済みませんでした。唐突に、お母様の話をしてしまって。」
「あの・・・。」
私は、この一週間心のなかで繰り返してきた疑問を口にした。
「母は、私たちに会いたがっているのですか?」
「う〜ん。お母様は、やっと最近過去と向き合うことができるようになりました。それまでは、深く心の奥に沈めて封印していたのです。」
北里弁護士は、あれからの母がどのように生きてきたかを語った。
~・~
父親の違う2人の子供を抱え、毎日生きていくだけで精一杯だった母。生活のためにかなり危ないこともしたし、いつも複数の男性と関係を持っていた。しかし、やがてそれも行き詰まった。親や親戚とは、もうとっくに縁が切れていた。お金も借りられるだけ借り尽くして、もう借金を頼める相手も、頼れる相手もいなかった。
(ああ、もういいや)
そう心が呟いた。
そして、着の身着のまま、僅かに残った札を握りしめてアパートを飛び出した。
そして、何日も街を彷徨った。あの子たちはどうなったのか。でも、もうどうでも良かった。
最後には、港の桟橋から海に身を沈めて、そのまま海の藻屑と消えようと思った。
遠ざかる水面に映る太陽を見て、水の底に沈みながら思った。これで、全て終わるんだ。でも、きっと私、地獄に堕ちるんだ。
水面の太陽が見えなくなり、周りを暗い水が包んだ時、急に苦しくなってもがいた。
息が限界だったのだ。
苦しくて、死のうと飛び込んだはずが、身体は必死に生きようとした。もがいて、もがいて、手足は身体を水の上に運びあげようとした。
そして、ついに水の上に顔を出して、深く深く息を吸った。
ああ、どうしても死ねなかった。
こんな、私でも生きていくしかないのか。
岸にたどり着き、半身を水に浸しながら思った。
(もう藤間百合は死んだ。明日からは別の人生を生き直そう)
そして、生涯で最後に一回だけ街で身を売った。得たわずかばかりのお金で街を離れ、地方へと落ち延び、身元を偽って隠れるように暮らし始めた。
手にしたのは、牧場での住み込みの仕事。
過去を心に深く封印して、ただ真面目に、そして目立たないように勤めた。
そんな彼女を見初めた男がいた。
その牧場を経営していた泉本だった。
泉本は、その時50だった。
妻には10年前に先立たれ、仕事だけを生き甲斐に男やもめを続けていた。
百合は、牧場に来た時から気にはなっていた。
農繁期でもあり、働きたいと言ってきた百合を事情も聞かずに受け入れたが、やつれた様子と言い、抱えている後ろ暗い雰囲気と言い、何か事情のある女なのは間違いなかった。
だが、見るものの気持ちをかきたてずにおかない容姿と、儚げな姿に泉本はだんだん惹かれていった。そして、ある時、意を決した泉本は、どんなことでも全て受け入れるから後添いになって欲しいと百合に懇願した。
百合は、この唐突の申し出を拒まなかった。
そして、自分の本当の名前と、今までしてきたことを全て泉本にぶちまけた。
自分が子殺しの鬼母であることも。
百合にしてみれば、こんな自分を受け入れてくれるはずなどないと思っていた。そして、牧場から追い出されるだろうとも。全ては、自分のしてきたことの罰なのだ。だから、甘んじて受けよう。
しかし、泉本は全てを受け入れた。そして、百合を妻として迎えいれた。子殺しの犯罪者かも知れないと知りながら。
だが、泉本はしばらく百合を世間から秘匿せずにはおれなかった。もし、公文書に百合の名前が出れば、そこから居場所を特定され警察の手が伸びるかも知れない。そこで、しばらくは内縁の妻としていた。
そして、泉本は百合に内緒で、彼女の子どもたちのその後を調査させていた。その結果、子どもたちは生き延びて、施設に収容されていることを知る。
そこから、子どもに対する傷害の時効が成立するまで、百合とは内縁関係を続けた。やがて、その出来事から10年目、泉本は百合と正式に婚姻関係になった。
前の妻との間に子どものいなかった泉本だったが、この間、百合との間には3人の子どもができていた。
そして、今から3年前百合は、泉本の口から彼女の最初の子ども達が生きていることを告げられた。
長女の美瑠は成人し、長男の真輝は高校を卒業して姉と共同生活を始めていた。
泉本に子どもたちの消息を聞かされた百合は動揺した。
恋しさゆえではない。封印していた過去をまた目前に突きつけられたからだった。
それから、百合の葛藤の3年間が始まる。
しかし、やっと過去と向き合う決意をした百合は、子どもたちにせめての償いをしたいと思い、北里を通じて美瑠に接触をした。
~・~
北里弁護士は母の身の上話を、たっぷり1時間近くかけてした。
すべて彼が何度も母から聞かされた話だった。
気の毒な人だとは思う。
でも、やっぱり納得がいかなかった。
なぜ、今更なんだろう。
お互いにとって辛い過去だったんだ。そのまま眠らせておけば良かったんじゃないか。
「さあ、せっかくのスイーツです。食べてください。」
そう北里弁護士に勧められて、私はハッと我に返った。
「失礼ですが、あなたのような美人がそんな怖い顔をしていたら勿体無い。」
「それ、褒めてるんですか?」
「はい、お母様に似て、とても美人でいらっしゃる。」
母に似ている。
私に生きる光を与えてくれた母。でも、生きていると教えられ、激しく憎んだ母。
その母親に似ていると言われても、素直には喜べなかった。
それでも、せっかくの彼の好意を無にすまいと、スイーツをスプーンで口に運んだ。
甘あい。
見る見るうちに甘みが広がって、口の中がとろけそうになった。
思わず硬ばっていた顔も緩んだのだろう。
「そう、そう、その顔ですよ。やはり、美人は笑顔ですね。」
北里弁護士がそう言った。
そして、彼は私の緊張が解けたのを見て、
「さて、本題に入ります。」と続けた。
「実は、お母様から、あなた方を援助したいと申し出がありました。」
援助?あ、お金か。
情がないとも思うが、私たちの関係に相応しいとも思う。
今更顔を合わせて、傷に塩を塗り込むようなことをするより、お金で過去の清算をする。確かに、その方がサッパリする。
だが、そんなスッキリしないお金は受け取りたくない。私たちは、もう自分の足で歩き出しているのだ。
思わず硬くなった表情の私に構わず北里弁護士は続けた。
「泉本さんは牧場の経営をしておられます。正直に言って、お母様が経営に加わるまでは、維持していくので精一杯でした。そこへ、お母様が高級花卉の生産を思いつかれて、一気に事業拡大をすることができたのです。いろいろとご苦労もされたでしょうが、今では地元では一番成功した農家のモデルとして注目されています。
家計にもかなり余裕が生まれました。しかし、お母様は無駄に贅沢するより、あなた方を援助したいとご主人に頼まれたのです。もちろん、泉本さんにも異存はありませんでした。
ですから、このお話を快く受けていただけないでしょうか。」
「しかし・・・。今更。」
「でしょうが、私たちも独自に調査いたしました。あなたは高校の頃、看護師になる夢を抱いておられましたよね。それを経済的理由で断念されている。弟さんに至っては、医学部に合格する力がありながら、これも諦めた。
もし、お母様の援助があれば、今からでも十分その夢を実現できるではありませんか。」
「わ、私は、もういいです。」
「なら、弟さんは?夜間に通ってまで学業を続けるのには、弟さんなりの志があってのことでしょう。なら、お母様の援助で人生を変えられるのではないですか?」
そうかも知れない。
いずれにしろ、これは弟の問題だ。
私が、自分の感情で判断してはいけない。
「・・・。」
しばし沈黙をする私の前に、北里弁護士は厚みのあるB5サイズの封筒を置いた。
「これは、当座役に立てて欲しいと預かったものです。少なくとも、これを受け取っていただかなくては、私は子供の使いになります。」
「そんな・・・。」
やめて下さい、と言おうと思った時、私は遠くの視線を感じた。思わずその方向に視線を移すと、レストランの奥で40くらいで裕福な身なりの女性が腰掛けて、こちらを見ている。
(まさかお母さん?)
そう思い、それを問いかけようと視線を北里弁護士に戻した時、しかし、彼はレストランの注文票を持って席を立ってしまっていた。
「あの・・・。」
思わず北里弁護士を声で追いかけたが、さっさとレジで会計を済まそうとしている彼には届かなかった。
それで慌てて視線をレストランの奥に戻した時、その女性の姿も無かった。
ふと、見ると北里弁護士が残した封筒が置かれている。これは受け取れないと思い、今まさにレストランを出ようとしている彼を追いかけた。
しかし、レストランの入り口から彼の行方を追ったが、どこへ行ったのか、北里弁護士の姿はかき消えていた。
まるで、キツネにつままれたようだ。
後には、北里弁護士からもたらされた母からの申し出と、不審な封筒だけが残されていた。

(彼方からの伝言 #4に続く)