マイ・ノベル・バンク

ここはオリジナル小説の貯蔵庫です。気に入ったらちょっとの間お立ち寄りください。

20.彼方からの伝言 #2【母と言う名の虚夢】

f:id:FairWinder:20160301230951j:plain
注意:この作品はフィクションです。実在の人物、団体とは一切関係ありません。

ただ一筋の光

あれは一体何だったんだろう。
5歳の頃、あまりものごとが分からないうちは、なんとなく受け入れられた。
でも時が経つに順い、あの出来事の異常さがだんだん分かってきた。
空中から突然出現した光る母親。そして、その母親に救われたなんて。

母が闇に消えた後、アパートの扉の前には何人かの大人たちが集まって来た。
そして、中に向かって呼びかけたり、大きな音を立てて扉を壊そうとしていた。
耳を覆いたくなる鈍い音が何度か響いた後、急に扉は外に向けて開け放たれ、大人たちが顔をのぞかせた。そして、気の抜けたように立ち尽くす私と、命の残り火が消えつつあった弟の姿を認めると、外に向かって大きな声で叫んだ。
「おーい、たいへんだ。子供だ。早く、救急車を呼んでくれ。」
数人の大人たちに囲まれた私たちは、彼らの手によって部屋の外に運び出された。
やがて、到着した救急車に乗せられて、強い薬の匂いのする病院へと連れて行かれた。
そこで、私は医者から治療を受けた。痛い注射を何本もされ、5歳の私は泣き叫んだそうだ。そして、泣き疲れた私は点滴を受けながら眠りについた。
その間、弟は集中治療室で手厚い治療を受けていた。そうして、私も弟も辛うじて一命を取り留めることができた。
そう、私たち姉弟は救われたのだった。

少し状態が落ち着いた頃、警察と名乗る女の人が訪ねてきた。そして、私や弟のこと、母のことをいろいろと聞いた。
母が私や弟をどうやって面倒みていたかとか、食事は何を食べていたかとか、病気になった時はどうしていたかとか。そして時折、大人同士で、「ギャクタイ」と言う言葉を交わしているのが切れ切れに聞こえてきた。
特に母親が、私たちを一週間も放ったらかしにして姿を隠したことについて繰り返し尋ねられた。今思えば、警察は母を児童虐待で立件しようとしていたのだと思う。
しかしその度、私が繰り返したのは、光る母親が私たちを助けてくれたこと。だがそんな時、付き添いの看護師は不憫そうに私を抱きしめた。
「可哀想に、あんなことまでされて。でもお母さんが恋しいのね。だから、お母さんの幻を見たんだわ。」
警察や看護師たちがそう言うのも無理なかった。
私たち姉弟が閉じ込められていた部屋は、内と外から施錠され、いわば完全な密室だったのだ。そこに誰かが入り込む余地などはない。また、そこに大人の誰かが存在した形跡もありはしなかった。
だから、母恋しさと衰弱で、5歳の私が幻覚を見たと大人たちは結論付けた。
確かに、ひどい母親だったかも知れない。人間として、自分の娘として、私を扱わなかったかも知れない。だが、だが・・・、あの光に包まれた母親は、私のただ一つの肉親のぬくもりだった。
誰に幻と決めつけられようと、私は繰り返し、繰り返し、あの光る母と、そして差し伸べられた救いの手の存在を訴え続けた。誰もが、私の言葉を妄想とからかい、まともに取り合わなくなってからもずっと。

私たちの母親を、警察はしばらく探していたようだったが、その行方はついに分からず終いだった。
そして、病院から出ると私たち姉弟は施設に世話になった。そこは、事情があって親と暮らせない子供たちが、集まって生活している場所だった。
ここには二通りの子供がいた。
親を恋しがって、いつか一緒に暮らしたいと願っている子供たち。
あるいは、私たち姉弟のように親に捨てられて、それを負い目にしている子供たち。
やがてもの心ついた弟は、よく私に「なぜ自分には親がいないのか」と尋ねた。最初は、「今は事情があって遠くで暮らしているけど、きっといつか迎えに来てくれる」と慰めていた。
しかし年を重ねるうち、私のそんな嘘も通じなくなり、親に虐待され捨てられた過去は弟の人生の暗さとなった。
また、幼いとき、栄養失調で死にかかった後遺症で、弟は左の足が不自由だった。普通に生活している時は支障なくても、歩いたり走ったりするたびに、どうしても足を引きずった。それを周りにからかわれるうち、その身体の傷は心の傷となり、ひどい仕打ちをした母親への恨みとなった。
しかし、私にはあの日助けに来てくれた光る母親の記憶があった。ひどい人だったけど、本当は優しくて子供思いのお母さん。
あの記憶が、私に「お母さん」と言う言葉に優しい響きを与えていた。そして、「いつかお母さんを許してね。」と言ったお母さんのこと、本当はもう許している、だからいつか会いたいと願っていた。

「それは、幽霊だよ」
私が12歳の時、施設のサトシと言う友達が言った。
私は、時折どうしても、あの日のことを友達に話したくなる。
でも、ほとんどの子供は私を嘘つきと言った。
「そんな訳あるか。お前の母ちゃんは宇宙人かよ。」
「そうだよ、お姉ちゃん。もうやめてよ。」
弟もあまり母親の話は聞きたがらなかった。
確かにあんなこと、異常だ。
普通に考えれば、おかしいと思う。
でも、あの記憶が私の一筋の光だった。
私にも、間違いなく愛してくれたお母さんがいた。
だから、馬鹿にされても、嘘つきと言われても話をせずにおれない。
だけれど、弟はそんな私を嫌がった。姉が馬鹿にされるのが嫌だったのかも知れないし、母のことを聞きたくなかったのかも知れない。
しかし、サトシだけは、私の言うことを否定しなかった。
「シリョウって知ってる。幽霊のことさ。
だってさあ、急に空中から現れて、空中に消えたんだろ。そりゃ、お腹が空いて目が回っていれば幻も見るかもな。だけど、ハッキリ触られた感じもあるんだろ。
きっと、お前の母ちゃん、死んでるんだよ。でも、置き去りにしたお前たちが心配で化けてきたのさ。」
「そんな・・・。」
サトシに悪気はなかったろう。
でも、母親が死んでいると決めつけられて、私は言葉を失った。
シリョウ、そう、あの日現れたのは母の死霊。
ひょっとして私たちは置き去られたのではなかったかも知れない。
子供二人残して出掛けた母親は、外で不幸な事故に遭って死んだのかも知れない。
そして、子供への思いが残って、死霊としてアパートの私たちを訪ねて救ってくれたとしたら。
もう、12歳の私にはなんとなくその方が腑に落ちた。認めたくはなかったけど、少しづつ私の中でそんな思いが強くなっていった。
やがて、私はもう母の思い出を人前で語ることはなくなった。

母と言う名の虚夢

施設には18の高校卒業までいた。
そのあとは、就職先を世話して貰い自立をした。
勤め先は、市民病院の事務局だった。
そして、23歳の今、職場でも古参の事務員になっている。
実は18の歳、施設からは、支援するから准看護師を目指さないか、と話を貰っていた。
しかし、2年後に私の後を追って社会に出る弟を支えたいと思い断念した。
その弟も、18の歳に就職し、昼間働きながら夜間の大学に通っている。そして、私たち姉弟は、同じアパートの部屋で生計を共にして、支えあって生きていた。
しかし、弟は非常に優秀で、医学部も夢ではなかった。かなり、学校の先生からも勧められたし、一時は私も奨学金制度を使ってでも、なんとか弟の夢を叶えてやろうと真剣に考えた。
だが弟は、そこまで姉の私に負担がかけられないと、そのまま就職し、夜間で大学卒業の資格を取ろうと頑張っている。

そんなある日のこと。
「藤間(とうま)さん。お客さんが訪ねていらっしゃっています。玄関までお越しください。」
内線で呼び出されて、病院の玄関まで出向いた。
玄関前には、スーツを隙なく着こなした30前の男性が立っていた。
「藤間美瑠さんですね。お仕事中に申し訳ありません。私、今日は、泉本百合(いずもとゆり)と言う方の代理として参りました。朝倉弁護士事務所の北里と申します。」
北里と名乗った若い弁護士は、私に名刺を手渡した。
「はい。よろしくお願いします。それで、今日はどのようなご用件でしょうか。」
「ここでは何ですから、少し落ち着いて話をできるところはありませんか。」
「では来客用の応接にどうぞ。」
そう言って私は、北里弁護士を玄関の側の応接室に通した。
応接に腰掛けると、彼はすぐに用件を切り出した。
「あの、先ほど、泉本百合さんの代理人と名乗りましたが、実は泉本さんの旧姓は藤間と言います。」
藤間・・・私と同じ姓。
「あの・・・。」
「はい、あなた方のお母様です。」
え・・・。
あまりに唐突だった。
母は、18年前、私と弟を置き去りにして行方が分からなくなった人間だ。
そして、私の中では、あの18年前死霊となって私の目の前に現れたことになっていた。
「そ、それで、まさか、は、母は生きているのですか?」
「はい、ご存命です。しかも、再婚され、3人のお子さんもいらっしゃいます。」
死んだはずの母が生きていた。
まさか。
ならば、あの時現れた光る母はなんだったんだ。あれは、母じゃなかったのか。
でも、自分で「お母さん」と認めたではないか。
「あの・・・。」
思わず絶句した。
あの母が生きていた。
しかも、別に家族をもうけ、弁護士を代理人に立てるほどの裕福な境遇で。
でも・・・。
ならば、何故18年間も放ったらかしにしたんだ!
「いつかお母さんを許してね。」と言った、あの言葉は全部嘘っぱちだったのか。
私は急に起こった身体の震えをどうしようもなかった。
私は、母に救われたと思っていた。
それが生きていく光だった。
なのに・・・。
非道い!
自分だけ幸せな人生を送って、私たちのことはどうでも良かったんだ。
悔しい!
いっそ、知らない方が良かった。
それは、怒りなのか、絶望なのか分からない。
ガチガチと歯の根が合わずに、おこりのように小刻みに身体を震わせていた。
そして、硬く握り締めた両拳からは血の気が引いて、真っ白になっていた。

「お察しします。」
嘘!あんたなんかに私の気持ちが分かるはずがない。
「ですが、お母様は、長い間あなた方が生きていることすら知らなかったのです。」
「ち、ちゃんと探したんですか?」
「いえ、二人の幼な子をアパートに置き去りにして、見殺しにしたと思い込んでいたのです。」
「思い込んでいたんじゃないわ!本当に殺されるところだったの。」
「まあ、どうかお聞きください。わずか、17、8で母親になって、親とも縁を切られて必死で生きなくてはならなかった女の子だったんです。確かに育て方も、躾の仕方も知らずに行き過ぎたことをしたでしょう。遊びたい盛りで、子供より自分を優先したい気持ちもあったでしょう。
しかし、お母様はあなたを抱えて、たった一人生きなくてはならなかったのですよ。」
そう諭されても、溢れ出した感情は手がつけられなかった。
「なら、なら・・なんで産んですか!狭くて暗いアパートに閉じ込めて、殺すためだったんですか!」
そして、溢れてきた涙で何も見えなくなった。

「今日は、失礼しました。落ち着かれたころまた連絡をいたします。」
これ以上話にならないと思ったのか、北里弁護士は早々に席を立って帰っていった。
その北里を見送ることもせず、私は応接のソファの上でまんじりともできなかった。
やがて、心配して見に来た事務長に促され、そのまま早退して病院を出た。
しかし、私はアパートには帰らなかった。
とにかく、薄暗くて独りきりになれるところへ行きたかった。
そこで、見知ったオールナイトの小さな映画館の一席に腰を下ろした。
映画は、商業施設では公開されないような名もないフランスの新人監督の作品だった。
評論家からの評価は高くても、興業的にはほとんど成り立たない、そんな作品ばかりを週替わりで愛好家たちに届ける。そういう主旨の映画館なのだ。
目の前のスクリーンには、少女が幼少期から大人になって恋をして、その間に様々な悲喜劇を経験しながら、やがて彼女も母となる、そんなストーリーが流れていた。
しかし、その映画の詳細は覚えていない。
動き回る人影と光の明滅、そして飛び交うフランス語に、少し郷愁を感じさせる音楽。
字幕は表示されていたが、それも私にとっては映像の一部でしかなかった。
頭の中では、今日北里と言う弁護士からもたらされた情報を反芻していた。
私たちを置き去りにしたひどい母が生きていた。しかも、自分だけ幸せな家庭を築いて。私たち姉弟は2度も見捨てられたんだ。
そして、18年前の不思議な記憶。私たちを助けてくれた光る母は何だったのか。やはり、私の生み出した幻覚なのか。
そして、このことを弟にどう伝えたら良いか、それで気持ちがつぶれそうだった。

それから、何回も観客席の入れ替えがあった。
しかし、私はジッと席に腰を下ろして、一晩を明かした。
やがて、 朝の5時に近くなった頃、やっと私は席を立って家路を辿った。
ふと取り出した私の携帯には、もう何件も弟から不在着信が入っていた。
ゴメンね、無断外泊なんて、心配をかけてしまったね。
空には朝日がきれいなグラデーションを描きつつあった。遠くで早朝の電車の走る音がする。そして、鳥たちのさえずりが騒がしくなる時間だった。
私たちのアパート近くの公園まで来た時、弟の真輝が向こうから来るのが見えた。
「あ、ゴメンね。心配した。」
「別にい。お姉ちゃんもそう言う歳になったのかと思った。」
「え、違うわよ。ちょっと、ゆっくり独りきりで考えごとをしたかったの。」
「だったら、電話一本くらいしてよ。」
「ゴメンえん。」
心配しなかったと口で言っていても、おそらくあまり寝ていないのだろう。そして、どうしても気になって、明け方に起き出して病院まで様子を見にくるつもりだったのだろう。
「ちょっと、いいかな。」
私は弟を公園のベンチに誘った。
「う、うん。」
2人は並んで公園のベンチに腰掛けた。
朝陽が公園の木々を眩しく染めて、早朝にジョギングや散歩をする人たちが、朝の光の中に姿を見せ始めていた。
「お姉ちゃん、これ。」
そう言って、弟はコンビニの袋を手渡した。
中身は、サンドイッチと暖かい缶コーヒーだった。
私は、昨日のあの時から何も口にしていないことを思い出した。サンドイッチを一口かじり、コーヒーを口に含む。口いっぱいに広がる芳ばしい香りに、細胞が生き返るような感覚にとらわれた。
そして、弟の心遣いが嬉しかった。

「あのね。」
コーヒー缶に目を落として、私は切り出した。
「私たち、2人ぼっちじゃない。お互いお父さんも誰か分からない。だから、親戚もいないし、おじいちゃん、おばあちゃんだって知らない。唯一肉親と言えば、あの日私たちを放り出した母親だけよね。」
「どうしたの、急にそんな分かりきったこと。」
「その母親がね、・・・生きていたの。」
私に衝撃を与えた、この言葉が弟にどんな感情を起こすのか、私は言葉を切って身構えていた。
しかし、弟は真っ直ぐ前を見て、そして遠い目のまま言った。
「正直言うよ。俺、よく分からないんだ。」
その冷静さが、私には不思議でもあり、また安堵もさせてくれた。
「あのさ、あの女が消えた時、俺まだ3歳じゃん。正直、良い思い出も、悪い思い出もないしさ。なんか遠い話しって感じだよ。」
「そう・・・。」
「確かにさ、俺の左足をこんなにした恨みはあるよ。恨んで、恨んで、おかげで僕の青春暗かった、なんてね。でも、いい加減恨み疲れたかな。悪いけど、お姉ちゃんのように、空中から現れて助けてくれたって言う良い思い出もないから、今更裏切られようが無いんだ。」
母親の所為で青春の暗さを負った弟が、いつの間にか自分の力で気持ちを浄化している。
男の子は強いなあ、と我が弟ながら頼もしく思えた。
そして、私も少し母親と向き合える気がしていた。

(彼方からの伝言 #3に続く)