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11.塔子

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注意:この作品はフィクションです。実在の人物、団体とは一切関係ありません。

塔子

彼女の名前は、篠田灯子(しのだともこ)。
高校1年生。
しかし、クラスメートからは、『塔子』と呼ばれていた。
口の悪い男子は『タワー』とも呼ぶ。
それは、彼女の背が178センチと、クラスメートの女子に飛び抜けて高かったからだ。
クラスの皆んなが何気に彼女を『塔子』と呼びかけても、灯子はそれを気にするでもなく、いつも気恥ずかしそうに照れ笑いを浮かべた。
灯子は、あまり口数の多い方ではない。しかも、あまり表情の豊かな方でもない。それで、皆んなからは少しは頭が足りないと思われ、小馬鹿にされていた。
わざと授業のプリントを配られないことは茶飯事で、そんな時少し悲しそうな顔をしながら教壇までブリントを取りに行った。そしてその様が滑稽で周りの失笑を買っていた。
当てられて教科書をとつとつと読む姿を、クラスメートは必要以上に囃し立て、声を立てて笑い飛ばした。しかし、灯子は怒るでもなく、ただ顔を真っ赤にしながら真剣に教科書を読むことに集中していた。

灯子は、父親とふたりで狭いアパートで暮らしていた。父親は、腕の良い職人だったが、事故で足を怪我して以来、思うように働けなくなった。それでも、昔馴染みの温情で、なんとか細々ながら仕事を続けて生活をすることができた。

高校生活が始まって一カ月後、夕食の時に父親が灯子に声をかけた。
「高校はどうだ。友達はできたか。」
「うん、普通だよ。」
「お前はどこでも目立つからなあ、虐められたりしていないか。」
「それも普通かな。」
「そうか。」
あまり父親は深くは問わなかった。
父ひとり娘ひとりの家庭環境のせいなのか、それとも女子にしては飛び抜けた身長のせいなのか、とにかく灯子は周りによく虐められていた。
しかし、それを普通と受け止めている我が子が不憫に思えてならなかった。

しかし、その灯子が悪いグループに目をつけられるようになった。
霧島茜(きりしまあかね)は年齢以上に成熟した女生徒であった。
一見優しげな口調で上品に振舞いながら、グループへと誘い込み、仲間になったと見るや、言葉のアメとムチで徹底的に服従を強いた。
茜は生まれついての毒婦であり、人の支配の仕方をよく心得ていた。時に甘くベッタリと相手との距離を縮め、かと思うと急に冷たく突き放した。突き放された相手は混乱し、自分の何が悪かったのかと、一層茜に親近しようと懸命になる。
そして、相手の気持ちを掴んだと見るや、グループ内カーストに取り込んでいくのだ。グループ内カーストとは、分かりやすく言えば、グループ女子たちの順位付けである。
「貴方が一番のお友達よ」と言われてナンバー2の地位にいい気になっていたら、急に順位を下げて酷い扱いをする。周りの女子はそれを見て、順位を下げられないように必死で茜の機嫌を取る。そうやって、茜はグループを支配し、また自分の周りを慎重に選んだ5、6名の側近で固めていた。

最悪の出会い

ある日のこと、体育の後の着替えに予想以上に時間がかかってしまった灯子は、急いで教室に向かっていた。
そして廊下の角を回った時に、向こうから来た女生徒にまともにぶつかってしまった。思わず灯子はよろけたが、相手は弾き飛ばされて無様に倒れこんだ。その相手とは、あの霧島茜である。
吹き飛んだ茜に、彼女の取り巻きたちが駆け寄ってきた。
「痛ったあ。」
尻餅をついて、小さく悲鳴を上げる茜に、取り巻きは「茜ちゃん、大丈夫?」と口々に声をかける。
「う、うん、みんなありがとう。」
茜は答えながら、側近のひとりに抱き起こして貰った。
「ご、ごめんなさい。私、急いでいて・・・。」
「ごめんなさいじゃねえよ。このうすらバカ!」
女子のひとりが灯子に蹴りを軽く入れて毒づいた。
「ちゃんと誠意を見せろや。」
もうひとりが小突きながら言う。
灯子はすっかり慌ててしまい、「ごめんね、ごめんね。」と繰り返した。
「誠意だよ。ホラ出すもん出せよ。」と先程の女子が手を差し出す。
(あっ、お金ってことか?)
灯子はそう気がついたが、決して楽でない生活の中から、父親に300円だけを昼食代として握らされていた。これを渡したら昼食を買うことができなくなる。
「ごめんね、お金持ってないの。」
おずおずと灯子が答えると、手を差し出した相手は気色ばんで「わけねえだろ、小学生のガキか、お前は。」と罵った。周りの数人の女子たちも近寄って、灯子を小突いたり押したりしながら、悪態を浴びせた。さながら、愚鈍な大型動物に群がるジャッカルの集団のようであった。体格の勝る相手に対しても、数を頼んでか、まったく怯む様子がない。
その内、ひとりが「じゃあ、証拠を見せてみろよ。」と言った。
「何を?」
「財布の中見せてみろっツーてんだよ。」
灯子はしばらく迷っていたが、このままでは収まりがつかないと思ったのか、仕方なくバッグの中から財布を取り出した。
その刹那、目の前の女子がパッと財布をひったくる。そして、中身を確かめて、「なあんだ、こりゃあ」と奇声を上げ、財布を下に向けて開いた。バラバラと財布の中身が地面に落ちる。それは、何枚かのレシートと、3枚の百円硬貨だった。
「ちぇっ、しけてやんの。」
興味を失なったように女子は言い、「かわりに今からコイツ皆んなでボコボコにしてやりましょうか?」と茜に促した。
それまで、薄ら笑いを浮かべながら面白そうに見ていた茜であったが、「いいわ、せっかくだからそのお金を貰っておきましょう。」と優しげな声を出した。「別に怪我をした訳じゃないし。皆んなもいいよね。」
そう茜に言われて、取り巻きたちも一様に賛同した。
「あんた、確か1組の子だったよね。あたし、3組の霧島茜。」
「篠田灯子です。」おずおずと灯子も答える。
「そう、今日は時間もないしね、覚えておいて上げる。また会いましょうよ。」
そう言って、茜達はその場を離れた。しかし、(面白そうなオモチャが見つかったわ。)茜はそう心の中で舌舐めずりをしていた。

悪縁

その日、灯子は昼抜きで過ごさなくてはならなかった。虎の子の300円を巻き上げられ、昼食が買うことができなかったからだ。
しかし、事はそれだけでは終わらなかった。翌日昼食の時間になって、学校の購買に行こうと教室を出た灯子の前に、茜の取り巻き達の2、3人が立ち塞がった。
そして、昨日灯子から財布をひったくった女子が、おもむろに手のひらを彼女に突き出した。
面喰らって「何を・・・」と言いかけた灯子に向かって、女子は「はあ?決まってるだろ!分割だよ、分割。あれだけのことをしといて、たった300円ぽっちで許して貰えると思ったのか。今日の分を寄越せって言ってるの。」
「でも、今日も300円しかないよ。」
「ちぇっ、しけてやんの。分かったよ。いいから寄越せ!」
仕方なく灯子が差し出した3枚の硬貨を無造作に掴むと、女子たちは嘲りながら踵を返して去っていった。
また今日もこれで昼食が買えない。また、午後からひもじい思いをしなければならない。しかも、これから、ずっとこれが続くのだ。そう思って灯子は暗澹たる気持ちになった。

校舎の屋上は、茜たちの溜まり場だった。
「茜ちゃん、行ってきたよ。」
そう声をかけられて、茜は振り向いた。
「どう、私が言った通りでしょ。」
「うん、あいつ、本当に300円だけ持ってた。」
「毎日、親から昼メシ代を300円だけ握らされて学校に来てるんだ。惨めなヤツ。」
「でも、300円ぽっちチマチマ巻き上げても何の足しにもならないよ。」
「バカねえ、そんなこと問題じゃないの。あいつが、その300円ぽっちでも取られたら、昼が食べられなくて苦しむでしょ。それが楽しいんじゃない。」
「・・・だよね。」
「まだまだ序の口よ。これからもっともっと面白くなるんだから。」

その言葉の通り、茜たちのイジメはエスカレートしていった。最初のうちは、300円さえ渡せば黙って帰っていったのに、だんだん「その目つきが気にくわない」「その言い方がムカつく」と難癖をつけて暴行をするようになっていった。
しかし、顔は殴らない。いつも殴られるのは腹や背中だった。顔を殴れば暴行の跡が残り、さすがに教師たちも勘づく。外に傷を残さないように恐怖だけを植え付け、完全に言いなりにするのが彼女らのやり方だった。時に、教室の前でクラスメートたちが見ている中、ひどい暴行を受けたことがある。でも、誰一人声を上げなかった。巻き込まれるのを恐れるように、ジッと遠巻きに見ているだけだった。こうやって、クラスメートから孤立させるのも彼女らのやり口だった。
しかし、ひとつだけ変わったこともあった。あまりに酷い茜一派のイジメを目の当たりにして、クラスメートはそれ以上灯子をからかわなくなった。もし、これ以上追い討ちをかけることをして自殺でもされたら、巻き込まれるのは絶対に嫌だ。
それでも、クラスメートのひとりが灯子を気づかって声をかけたことがある。
「ねえ、塔子。あんたこれだけ大きな身体をしてるんだから、あんな奴ら、その気になれば吹っ飛ばせるでしょ。どうして、やりたいようにやらせておくんだよ。」
灯子は、少し辛そうに笑って、「有難う。でもね、喧嘩は絶対嫌なんだ。」と答えた。
クラスメートはそれに、心配を通り越して、すっかり呆れかえってしまった。(殴られて喜んでるなんて、やっぱりおかしいんじゃないの、この子。)

意志

「だいぶ、仕上がった頃ね。」
しばらくそんな日が続いた後、茜は取り巻きたちにそう言った。
「そろそろ現場に出してもいんじゃない。」
「今度は、茜ちゃんも見においでよ。」
「嫌よ、私は絶対現場には行かないの。」
「勿体無い、絶対楽しいのに。」

そして、その日の放課後、彼女たちは灯子を呼びつけた。
「どこへ行くの?」
「お前は黙ってついて来い。」
そうして、彼女たちは街の携帯ショップの前に来た。
「あのな、あたしが店員から説明を聞いている間に、お前は店の中にジャラジャラ並べてある携帯をできるだけ多くこのカバンに突っ込むんだ。」
「えっ、泥棒ってこと?」
「ハッキリ言うなよ。そうだよ、結構いい金になるんだ。うまくいったら、お前にもひとつくらい分けてやるからさ。携帯欲しかったんだろ?」
「わたしは・・・やらない!」
いつもの灯子に似つかわしくなく、決然と言い放った言葉に女子たちは逆上した。
「てめえ、誰にもの言ってんだよお。舐めてんのか。」
「ふざけやがって。まともな口が聞けるようにしてやる。」
そう言って、女子のひとりが灯子のみぞおちに拳を打ち込んだ。
「グッ・・・」
たまらず苦しそうに上体を曲げた灯子の背中に、女子たちが寄ってたかって蹴りをいれ続ける。
「わたし・・やらないから。」
なおも灯子は、歯をくいしばって言い続ける。
「まだいうか!」
女子たちの暴行が激しさを増した時、「こら、あんたたち、なにをしてるの!」
通りかかった女性が見かねて声をかけた。
女子たちはそちらをギロリと睨んで「うっせえ、ババア」と毒づいた。
「あんたたち、いい加減にしないと警察呼ぶわよ。」
「ちぇっ、しらけた、しらけたあ。」
女子たちは口々にわめきながら、灯子をひとり残して、その場を離れていった。
「ちょっと、あんた大丈夫?」
女性に抱き起こされた灯子は、「あ、有難うございます。大丈夫ですから。」
「わたしがついていってあげるから、今から警察に行く?」
「本当に大丈夫ですから。ちょっと喧嘩しただけですから。」
灯子は女性に丁寧に礼を言って、帰路についた。

取り巻きたちからその日のことを聞かされた茜は苛立たしげに爪を噛んだ。
(なんだ、あいつは。すっかり言いなりになったと思ったのに。)
しかし、茜は暴行されている灯子を遠目に見た時のことを思いだしていた。
殴られ、蹴られるたびに辛そうな顔をするが、決して怯えたような顔はしない。まさか、怖がっていないのか?でも、ここまで徹底的に恐怖を擦り込んだんだ。そんなことあるはずがない。
茜にとって、そんな灯子のことが重荷になり始めていた。

企み

茜には、もうひとつの顔があった。
それは、女子たちを支配する女王の顔の他に、強い男に取り入って味方につける毒婦の顔である。
夜には時折、コッソリ家を抜け出しては、男たちのたむろする場所へ出かけて行った。
今、茜にぞっこんなのは、この辺りのチームをまとめている男で、皆からヨシロウと呼ばれていた。
茜は、明け方までヨシロウと過ごすことがあった。彼女が傍若無人に振る舞えるのは、こんな男性関係に負うところが大きかった。
茜が取り巻きに囲まれているように、ヨシロウもいつも何人もの取り巻きに囲まれていた。特に、ヒロシと言う歳下の少年は、ヨシロウを「アニキ」と呼んでいつも一緒にいた。
その夜もヨシロウと茜、そしてヒロシが、ヨシロウの実家所有のマンションの一室にたむろして、酒やタバコをのんで騒いでいた。

夜も更けたころ、ヨシロウがヒロシに声をかけた。
「ようヒロシよ、もうそろそろ帰れや。」
「アニキ、まだ12時過ぎたばかりじゃないすか。早いっすよ。」
「バアカ、気をきかせろよ。これから茜といいことすんだよ。」
「いいなあ、アニキばっかり。俺も可愛い女の子といいことしたいっすよ。」
「バアカ、まだオメエには早えよ。」
そんな会話を何の気なしに聞いていた茜の頭に、ある残酷な考えが浮かんでいた。
「ねえ、あんた、女の子紹介しようか?」
「えっ、茜ちゃん、本当?」
「うん、後腐れのない子がいるの、好きにしちゃってイイよ。」
「うわあ、本当?で可愛いの?」
「どうして、男はすぐそこ聞くの?見た目はまあまあよ。でも、もの凄いデカ女なの。近くで見たらドン引きするかもよ。あと、チョット頭が足りないとこがあるんだけど、それでいい?」
「いいよお、目ぇつぶってチャッチャッと済ませるからさあ。」
「ははは、ヒロシ、お前、女はものじゃねえんだぞ。」
ヨシロウも話に加わった。
「アニキに言われたくないすよ。」
「茜の前で人聞きの悪いこと言うなよ。」

最後、その話を茜が引き取った。
「じゃあ、明日の放課後に学校の前に来てくれない。」
「えっ、明日!そんなに早くいいの!」
「良かったじゃねえか。よし、俺もついていって見届けてやる。」
ヨシロウとヒロシを引き込むことができた。服従させたはずなのに、どうしても思うままにならないあの灯子を、今度は男たちの力でグチャグチャにしてやる。見てなさい。
そう心の中で舌舐めずりする茜だった。

正体

翌日、校門から少し離れた所でヨシロウとヒロシは連れ立って待っていた。近くにはヨシロウの車が止めてある。
「アニキ、車までスンマセン。」
「少しくらい嫌がられてもな、車に押し込んで、後は直行便よ。」
二人で笑いあっているところに、茜がやってきた。
「ゴメン待ったあ?」
「オウ」
「茜ちゃん、どの子?どの子?」
「今、校門のところに呼びだしたから。えっと、あ、いたいた、あのデカイ子。」
そこには、気遣わしげに辺りを見回している灯子が立っていた。確かに、他の生徒に比べて背の高さが際立っている。
「あっ、アニキ、いたいた。割といい感じっすよ。」
「ああ、あの女か?でも、大丈夫か?普通の女っぽいぞ。本当に後腐れねえんだろうな?」
「大丈夫だって。」
「でも、あいつどこかで・・・。」
思い出すように記憶を辿っていたヨシロウの表情が急に険しくなった。
「・・・あいつ、最近ウワサを聞かなくなったと思ったら、こんな離れたガッコにいやがったのか。」
「えっ、あいつのこと知ってるの?」
「なあ、茜、まさかあいつに手えだしてねえよな。」
「えっ、何言ってんの、あいつはもう私の手下だよ。だから、今日もいいなりに来てんじゃん。」
「バカ、あの篠田灯子がそんなタマか。怒らせたら、お前確実に顔潰されて病院送りにされるぞ。」
「あ、アニキ、篠田灯子って、あの『狂犬中学生』って伝説の。」
「えっ、何?何の話よ。」
「あの篠田灯子はな、一年前まで俺らの街で顔をきかせていたのよ。普段は大人しいけど、一度頭に血が昇ると手がつけられねえ。あのガタイで、しかも異常に力が強いと来ている。一度始めた喧嘩は決してやめない。相手が倒れて、気を失っても目と鼻が分からなくなるくらいまで徹底的にぶち殺すんだ。一度狙われたが最後、確実に病院送りにされるのさ。
本職とやりあったことがあってな、あの時は灯子の奴、腕をへし折られても止めねえんだ。とうとう向こうがビビって逃げ出したくらいだ。」
「でも、一年前って・・・。まだ、あいつ中学生だよね。」
少し茜の声が震えていた。
「だから、ついたあだ名が『狂犬中学生』さ。地元のチームでも随分戦力として欲しがったんだが、ある時プッツリと街に姿を見せなくなって、それ以来誰もウワサを聞かなくなったんだ。」
「そ・・・。」
「なあ、すぐにあいつから手を引け。ヒロシ、女なら俺が紹介してやる。あいつだけは、ダメだ。」
3人はそのまま無言で車に乗り込むと、街に向かって走り去っていった。そして、後には、灯子がひとり残されていた。

憤怒

あれからも、灯子に対する300円の徴収は続いた。
ただ、暴行は茜が止めさせていた。
茜には、俄かにあのヨシロウの話が信じられなかった。あの愚鈍な灯子にそんな一面があるとは想像できなかったのだ。
しかし、用心深い茜は念には念を入れることにした。あまり灯子を刺激することは止めて、以前通り300円の徴収だけを続けて、様子を見ることにしたのだ。
ただ取り巻きたちは、急な方針変更に訳が分からず混乱した。また、チマチマと毎日300円ずつ取りに行かされるのにも不満を抱えていた。そして、あの日、強情に盗みの手伝いを拒まれたことにも怨みを抱いていた。
それで、茜には内緒で、彼女たちだけで灯子に制裁を加えることにした。
彼女たちのリーダーは、村木柊子と言った。茜たちのグループでは、No.2の立場にあった。
柊子は、ある日の放課後に灯子を校舎の裏に呼びつけた。そこに、グループから数人が参加していた。
「お前さあ、最近少しいい気になってんじゃないの。茜ちゃんが甘いからって、私らまでそうだと思わないないでよ。私たちの方がずっと怖いって思い知らせてやるから。」
柊子が目配せをすると、女子たちはバラバラと灯子を取り囲んだ。
「押さえつけて。」
そう仲間たちに促して、柊子はカバンから黄色いスプレー缶を取り出した。
「何をするの?」
「この壁にお前の人型を作るんだよ。いい思い出になんだろ。」
「そのスプレーで・・・」
「そうだよ、頭からつま先まで、スプレーをぶっかけて、お前の形で壁に模様を作るんだよ。」
「や、止めて。制服、これしかないの。これを汚されたら、もう学校に来られなくなるの。」
「そんなの知るか。」
灯子の懇願が、より柊子の残忍な気持ちに火を付けた。
「しっかり押さえてなよ。まずは、その生意気な顔からだ。」
そう言って柊子がスプレー缶を灯子の顔に向けた時、ふいに灯子から激しい怒気が放たれた。
「やめろって言ってるだろ!」
思わず女子たちは掴んでいた手を離して後ずさりした。
もはや、灯子のあの愚鈍な表情はなりを潜めていた。そして、激しい憤怒が顔に現れていた。
灯子は、周囲を圧倒するような強い覇気を全身にみなぎらせて、一歩また一歩と前に出た。
柊子たちの企みを茜が気づかないはずがない。しかし、事の成り行きに興味があったので、好きなようにさせておいた。そして、物陰で見ていた茜は、その灯子の姿に背筋が凍る思いがした。
(皆んな、潰される!)
やはり、ヨシロウの言ったことは本当だった。とんでもない相手に手を出していたのだ。
一歩ずつ灯子が足を進めるたびに、女子たちは毒づきなからも後ずさりをして行った。しかし、やがて耐え切れなくなったものから、ひとりまたひとりと逃げ出して行った。
だが、それ以上灯子は追いかけては来なかった。ただ、下を俯いて悔しそうに唇を噛んでいた。そして、声を殺して、涙を流して泣いていた。

亀裂

それからというもの、茜たちのグループは一切灯子には構わなくなった。
灯子にとって、静かな日々が戻ってきた。ただ、その余波でクラスメートはもう灯子のことをからかわなくなっていた。そして、相変わらず「塔子ちゃん」と呼ばれていたが、「ちゃん」付けに昇格したのと、灯子自身も気にいっているのか、「うん、うん」と愛想よく対応していた。

だが、一方、茜たちのグループにはトラブルが起こっていた。
茜たちに食い物にされた女生徒のひとりが学校に被害を訴え出たのだ。
その先頭に立って実行していた村木柊子が校長室に呼び出されて、教師たちから詰問を受けた。
追求の厳しさに柊子はたまらずに霧島茜の名前を出した。しかし、同じく校長室に呼び出された茜は、あっさりと関与を否定した。教師たちは、霧島茜の悪い噂は聞いていたが、彼女の関与を証明する証拠がない以上処分は難しかった。
結局、柊子ひとりが退学に決まった。

その翌日、昼休みに校舎の屋上にたむろしていた茜たちのもとへ柊子が血相を変えて乗り込んできた。
「あら、誰かと思えば裏切りものじゃない。」
柊子を見て、茜は見下げ果てたように言った。
「裏切りものは、どっちだよ。全部私にやらせた癖して、バレたらみんな私の所為にして、フザケンナ!」
「そおよ、悪い。だから、私は絶対ヤバいことには直接手をださないの。」
「あんたたちも、こんな女に騙されて腹がたたないの!」
他の取り巻きたちに柊子が呼びかけるも、他の女子たちは冷笑しただけだった。彼女たちには、柊子が失脚すれば自分たちの順位が上がるという思惑もあった。
「何さ、いままで、茜ちゃんのお気に入りなのをいいことに、散々威張り散らしたのはあんたじゃない。あんただって、結構いい目をしたんでしょ。自業自得だっツーの。」
茜のみならず、他の女子たちにも散々小馬鹿にされて、柊子は逆上した。
そして、「わーッ!!」と叫びながら、屋上の手摺に状態を預けると大きな声で喚き散らした。
「おい、バカな生徒ども、アホなセンコーたち。どいつもこいつも、皆んな霧島茜に騙されやがって!こんな奴をこのままにしておいたら、日本のためになんかならない。だから、私が今から制裁を加えてやる。そして、茜をぶっ殺して、私もここから飛び降りて死ぬ。
茜が死ぬところを見たい奴がいたら屋上まで上がって来い。」
そこまで、まくし立てると柊子はカバンから大きなナイフを取り出すと鞘を払った。そして、ギラリと刃を光らせて、茜の方に向き直った。
その目つきに茜はさっと顔色を失い、取り巻きたちは思わず飛びずざった。
ジリジリと茜を隅に追い詰めながら、柊子は慎重にナイフの狙いを定めている。その表情に本気のほどがありありと現れていた。
僅かに矜持が残っているのか、あるいは生まれ持っての表情なのか、茜は言葉を失いながらも冷笑を崩さなかった。
やがて、屋上に血相を変えた教師たちや、怖いもの見たさの生徒たちが集まってきた。
「おい、村木、やめろ。人生を棒に振るつもりか!」
教師たちは口々に呼びかけるが、柊子は一向にひるむ様子がない。柊子を取り押さえようとするが、完全に逆上している柊子にはとても手をだすことができなかった。
「校長、警察を呼びましょう。」
教師が校長に提案するが、校長は首を縦に振らない。
柊子は、「おい、茜、死ぬ前にお前がやってきたことを全部皆んなに話せ。全部懺悔して死ね。」と茜に言葉を投げつけた。
茜は何かを言おうとするのだが、声が涸れて何も言うことができなかった。

血潮

そのとき、不意に前に出た生徒がいた。
灯子だった。
灯子は校長に目で合図をすると、ゆっくりと柊子に近づいて行った。
「おい、篠田、何してる!」
教師のひとりが灯子を止めようとしたが、校長がそれを手で制した。あの子なら大丈夫、まかせよう、そう言っているようだった。
近づいてくる灯子を認めると、柊子は彼女の方に向き直った。
「なんだ、テメエは。お前もぶっ殺されたいのか!」
「いいよ、刺してみたら?」
そう言って、灯子はスカートに手を入れて、シャツの裾を掴むと一気に胸のところまで引き上げた。灯子の裸のお腹が丸出しになった。
「どうぞ、遠慮はいらないわ。」
灯子には、あの愚鈍な表情も、狂気の表情もなかった。ただ、決然とした表情だけを浮かべていた。
「ここが急所よ。」とみぞおちのあたりを指さした。
「刺したら、ナイフに体重を乗せて中で捻るの。血が吹き出て、私は痛さで暴れまわるわ。でも、決して手を離してはダメよ。血で手が滑るから、しっかり握っておくのよ。さあ。」
そう喋りながら、灯子は柊子のナイフの届く範囲まで近づいて行った。
目の前に素肌を晒されて、さすがの柊子も怯んだ。そして、一呼吸遅れてためらいがちにナイフを突き出した。その刃を灯子は、手のひらでしっかりと握りしめた。
柊子は、ナイフを取り返そうと必死に押したりひいたりするが、灯子にしっかり握りしめられたナイフはビクともしない。ただ、そのたびに灯子の手のひらが切れて鮮血が飛び散った。
灯子は全く表情を変えなかったが、反対にどくどくと流れて袖口を真っ赤に染める血潮や、顔や服に飛び散る鮮血に柊子はガクガクと震え始めた。
「ねえ、あなた、血を見るのは初めてじゃないよね。でも、人を刺すの初めてみたいね。アニメや映画の殺人シーンを見て、簡単に人を殺せるとでも思ったの。傷つけられる痛みも、傷つける怖さも知らないで、勝手に膨らませた想像の中だけで死ねだの、殺すだの言っているだけじゃないの。」
灯子は低い声で柊子に語りかけていた。
「でも、あなただけじゃないよ。私もそうだった。
子供の頃から私、すごく虐められたのよね。皆んなにバカにされて殴られたりもした。でもある時、思い切って腕を振り回したら相手が吹っ飛んだの。なあんだ、こんな弱いヤツらだったのかって、それから殴られる側から、殴る側に変わったの。
中学校では『狂犬中学生』と呼ばれて、街では知らない人はなかったわ。それでますますいい気になって、自分から喧嘩を仕掛けて行ったの。でもね、時々怖くなった。怒りに我を忘れると、相手を殺す寸前までやってしまうもの。そんな自分が抑えられないことが、正直恐怖だった。
去年の夏にも、私相手を殺しそうになったの。いいえ、多分止めて貰わなければ間違いなく殺していたわ。
その時、止めてくれたのが、騒ぎを聞いて駆けつけた私のお父さんよ。必死に私を押さえつけて、止めようとしていたわ。でも、私、そのお父さんを弾き飛ばしたの。しかも、そこから3メートルも下に落ちて足の骨を複雑骨折したの。
そして、それがもとでお父さんは満足に仕事ができなくなったの。でも、そんな私を許して今でも一緒に住んでくれている。
それが申し訳なくて、どんなに酷いことをされて、もう二度と喧嘩することはやめよう。怒りに我を忘れないようにしようと決めたの。
だから、私はあなたたちが怖かったわけじゃないの。怒りに我を忘れて、また取り返しのつかないことをしそうな私自身が怖かっただけなのよ。」
そこまで言って、灯子は柊子からナイフを取りあげた。
それと同時に柊子はその場に崩れ落ち、教師たちが駆け寄ると彼女の身柄を抑えた。

決着

灯子はやがて襲ってきた痛みに顔をしかめながら、それまでの経緯を茫然と見ていた茜に近づいて行った。
そして、パックリと傷口の開いた手のひらを茜に向けて突き出した。
「ヒッ!」
殴られると思ったのか、鋭く叫びを上げて茜は頭を庇うようにうずくまった。
しかし、灯子はそのまま血まみれの手のひらを茜の頬に押し当てた。たちまち、茜の顔は真っ赤に染まった。
傷口から今も流れだす血潮が、頬を伝って茜の口に流れ込んだ。
「や、やめて!」
茜は灯子の手を振り払おうするが、灯子は決して許さなかった。
そして「どう、血の味は?」と聞いた。
「あなた、人に血を流させて、自分はいつも陰に隠れているよね。だから、本物の血の味なんか知らないでしょ。
安全な場所で、自分が決して危なくないところからなら、どんな残酷なことでも言えるよね。
私はあなたを殴ったりはしない。でも、本物の血を流して、本物の痛みが分かった方がいい。」
やがて、灯子は「さあ、傷口を早く塞ぐんだ。」という教師に促されて、その場を離れた。
後には、魂の抜けたような表情の茜が残されていた。

新生

その後、柊子は灯子の嘆願もあって警察沙汰は免れた。
茜はあの日を最後に姿を見せなくなり、後日他の学校に転校したと聞いた。当然、茜たちのグループも自然消滅した。
茜がこの後、生き方を変えたかは定かでない。ただ、この世には本当に怖いものがあることだけは分かったようだ。

深く切れた手のひらは跡が残った。しかし灯子は、それから憑き物が落ちたように愚鈍な表情は見せなくなった。と言っても、人を威圧するような雰囲気でもなかった。ただ、自分自身を信じている明るい表情になっていた。
クラスメートたちは、今では灯子にすっかり敬意をもって接していた。
ただ、「塔子ちゃん」の愛称は変わってはいないが。

ある朝、校門の前で校長が灯子を呼び止めた。
校長と、灯子の父親は旧知の仲で、灯子の過去の暴力沙汰を全て分かった上で彼女を高校に受け入れたのだ。

「篠田さん、お父さんはお元気かね。」
「はい、おかげさまで皆さんに助けて貰って頑張っています。」
「そうか。
篠田さん、君ももう大丈夫のようだね。自分自身を乗り越えられたんだからね。」
「はい。」小さく、しかし、しっかりと灯子は答えた。
軽く会釈をして教室に向かう灯子の背中を、彼は頼もしげに見送っていた。

(おわり)