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06.蜂の巣箱

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午後3時の来訪者

午後3時を告げる時計の鐘の音が陰鬱に響いた。
年代を感じさせる重厚な調度に囲まれ、老人はときおり軽く咳き込む。
彼は病んでいた。

死病に取り付かれながらも、それでも生への執着が断ち難い老人は、金にあかせて探させた名医を次から次と邸宅へと招きいれた。
しかし、どの医者も、難しいと首を振るばかりであった。

「まったく、どいつも、こいつもやぶ医者ばかりじゃ。こんな年寄り一人助けられんクセして、世間のものが名医じゃ、権威じゃとおだてるものだから、すっかりいい気になりおって腕を磨くことを忘れておる。」
「旦那様、あまり喋られますとお身体に触られます。」
ずっと老人の世話をしてきた老執事が気遣って声をかける。

「で、その男は何じゃ。格好からすると医者ではなさそうだが。」
「はい、何でも旦那様の古くからの知り合いだとかで。どうしても、今日旦那様と合わせて貰いたいと。」
「何、古くからの知りじゃと。それにしては随分若く見えるではないか。」
「一度は引き取ってもらおうとしたのですが、何分ずいぶん旦那様のことが詳しいようで。ずっとお仕えしている私でも知らないようなことも知っておいでだったので。」
「おい、お前!わしの古くからの知り合いと言っているが、わしは覚えてはおらぬぞ。」

居丈高な老人の物言いにも少しもひるまず男は、
「お忘れなだけですよ。私とあなたは、あなたが子供の頃に会っているのですよ。なにせ、その蜂の巣箱は私がお預けしたものですからね。」
蜂の巣箱と聞いて、老人はハッとした。
なぜ、この男は蜂の巣箱のことを知っているのか。

青い空と白い雲の記憶

それは、老人にとっては遠い記憶であった。
青い空と白い雲が記憶に焼きついている。
老人はその時、まだ5歳であった。
しでかした取り返しのつかないことに恐れ、震え、そして泣いていた。
眼の前には無残に潰れた子犬の死体があった。

ほんの少しだけ外で遊ぶつもりだった。両手でしっかり抱えて、どこにも逃げないようにしていた。なぜなら、お姉さんのとっても大切にしている子犬だから。
しかし、子犬はそれを窮屈に感じ、彼の両手をスルリと抜け出して通りへと駆け出していった。そこへ、折悪しく馬車が通りかかり、子犬はその輪に押しつぶされ果てたのだ。
悔恨の思いと、姉と子犬への罪悪感。
彼はどうすることもできずに泣くことしかできなかった。

蜂の巣箱

その彼に一人の男が声をかけた。
「済んでしまったことをクヨクヨしても仕方がない。仕方がないことだったんだ。きっとお姉さんもわかってくれるよ。」
それでも、なおも泣き続ける彼に男は、「そうだ、君にいいものを渡そう。」と小さな木箱を差し出した。
「蜂の巣箱だ。いいかい、誰かを傷つけたり、苦しめたりしたら、心が痛むだろう。そんな時、この巣箱を開くといい。」
そういって、男は木箱の留め金を外した。

少年が、木箱の中を覗くと、そこはまるで別の世界だった。手のひらに乗る小さな木箱なのに、無限に深く、無限に広いのだ。そして、その世界には無数の蜂の巣が存在していた。
「おじさん、巣はあるけど蜂はいないの?」
「この箱は、君の巣箱だから、まだ蜂はいないんだ。ほら、気分はどうだい?」
不思議なことに、あんなに怖かったのに、悲しかったのに、気持ちがだんだんと楽になる。

かすかな羽音に気がついて、巣箱を覗くとそこには一匹の蜂が入っていた。
「覚えておくといい。君が人を傷つけて辛い気持ちになったとき、この巣箱はその気持ちを蜂に変えて棲まわせるんだ。そうすると君は苦しみから開放されて楽になる。うまく使えば幸せな人生が送れるだろう。しかし、ときおり身を滅ぼす人がいるから気をつけるんだ。そうして、いつかまた、この巣箱を返してもらいにくるからね。その時まで大切にするんだよ。」
そう言い残して男はいつの間にか姿を消していた。

それから、彼は蜂の巣箱を大切に机の奥にしまいこんだ。

そして、友達を傷つけた時、心ならずも両親を裏切ってしまった時、苦しくて悶々とした夜を過ごしながら、最後は蜂の巣箱を開いて苦しみから解放されていた。
やがて、彼は気がつく。
蜂の巣箱が蜂に変えて棲まわせているのは、人間の罪悪感なのだ、と。だから、蜂を箱に棲まわせるたび、人間は罪悪感から解放されて楽になる。

罪悪感を感じない人間は、自由なのだ、と。

暴走

そして、すぐに蜂の巣箱を使うことに何の抵抗も感じなくなっていった。
長じて、有名な政治家の娘との縁談があった時、将来を誓っていた別の娘をあっさりと棄てた。棄てられた娘は、人知れず命を絶ったという。しかし、彼は蜂の巣箱のおかげで罪悪感を感じなくて済んだ。

政治家の地盤を引き継いで、やがて中央に打って出る時、彼は国内で力を持っていた異民族を攻撃することによって支持を得ようとした。そのために、おりしも起こった爆弾事件の罪を彼ら異民族になすりつけ、彼らの大勢の指導者を死刑台に送った。その爆破事件の真犯人はわかっていない。しかし、彼が後ろで糸を引いていたのかも知れない。
やがて、異民族は狩り出され、一箇所に集められて大量に処分された。国民達はそれを見て熱狂し、彼の政権を強く支持をした。しかし、殺されていった異民族の怨嗟の嘆きは、彼らがいなくなった後も、長く物悲しく風に乗って国のいたるところで聞かれたという。
しかし、それでも彼が罪悪感に苦しめられることはなかった。

中央で国を動かし始めた彼は、やがて周辺諸国の侵略、併合を始めた。
彼の飛行機と戦車軍団は強力で、他国を次々と従えていった。ところが、北の果ての国が思いのほか抵抗を試みた。冬が来れば戦局が不利になると考えた彼は、巨大な爆弾を開発し、北の国に何発も投下した。
その国土と人間の半分が燃えてしまった。そして、敵国の大統領は泣きながら降伏を受諾した。しかし、その大統領もまた死刑台に送られた。

周辺地域を併合した彼は、支配地域と境界を接する大国とは争わず、協調することにしたので、ここで戦争は一応終焉を迎える。
しかし、この長き戦争で地域の人間の1/3が殺されてしまった。家族に犠牲者のいない家はなく、みなこの戦争を呪った。
しかし、それでも彼が罪悪感に苦しめられることはなかった。

戦争で領土を何倍にも広げた彼は、国民の英雄として長くこの国を統治した。
しかし、寄る年波には勝てず、ついに彼は後進に統治者の座を譲って、引退することにした。その時、恐れたのは、彼に批判的な人間が力を持って、ついには彼の生命を奪いにくることであった。そこで、彼は罪をでっちあげ、政敵を家族もろとも抹殺してしまった。そうして、彼は安心して引退をすることができ、豪壮な屋敷で悠々自適な生活を始めた。

そんなある日、彼は鏡の前に立って驚いた。
直接眼には映らないがが、鏡に映れた自分の胸に無数の小さい穴があいているではないか。気のせいかと何度眼を凝らしても変わらない。鏡を何枚変えても変わらない。
まさか、これは己の罪悪感が蜂になって飛び出した後に、空いた心の穴が鏡にだけ映っているのか。

そして、今度は机の奥から蜂の巣箱を取り出して、中を覗いてみた。すると、あんなに広くて深いはずの巣箱に溢れんばかりの蜂たちがうごめいているではないか。
「つまり、それだけワシは罪を重ねてきたのか」

そして、その日から彼は床に伏せるようになった。

幕切れ

「思いだしていただけましたかな。私は、遠い昔あなたに蜂の巣箱を預けた人間なのですよ。」
「しかし、あれだけ忠告したのに、こんなに巣箱を一杯にして。」
「残念ながら、この巣箱は他で要る用事ができたので返してもらわねばなりません。ついては、この巣箱の蜂も放そうと思うのですが。」

そこまで言って、男は蜂の巣箱の蓋を大きく開いた。すると、小さい箱の中から、どんどん、そしてどんどん、いつ途切れるかも判らない蜂の雲が湧き上がった。

そして、その雲は部屋中に満ち、執事はたまらず床に倒れこみ、老人は鋭い断末魔の声を残して蜂の雲に飲みこまれていった。

やがて、喧騒は静まり、執事はゆっくりと床から身を起こした。
老人は眼から血を流し、ひどく恐ろしげで、また悲しげな表情で事切れていた。

自分の行いに対する罪悪感なのか、あるいは悔恨の血の涙なのだろうか。

(おわり)