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04. ひっそりと生き、名もなく死ぬる

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太閤の郷愁

「いつの間にか、わしも60じゃ。まったく人の一生は早いものよ。」
太閤は誰に聞かせるともなくひとりごちた。

「このところ、何かと生まれ育った中村の郷が懐かしく思い出される。前から、折あらば一度尋ねてみたいと思うておったが。」

その日、尾張の国、中村郷は色めきたっていた。
今をときめく太閤様が、この片田舎をお尋ねになるのだから。しかも、役人達からは「決して口にしてはならぬ」と堅く禁じられていたが、太閤様がこの中村の郷の百姓の出であることは、半ば公然の秘密であった。
この村から身を起こし、戦国の世を平定し、いまや天下人なのだ。村人たちにとっては、とても鼻が高かった。

やがて、物見の侍がやってきて、村長にみなを沿道に集めるように命じた。これに備えて、村人たちは湯を使い、よそ行きを着こんで、また持たぬものは知り合いに借りてまで、身奇麗にしてその時を待っていた。

やがて、遠くから、行列の馬や、警護の侍達の足音が響き始めると、役人はみなにその場にひれ伏すように命じた。
「良いか、決して顔など挙げてはならぬぞ。不届きあらば、後に必ずや成敗いたすからな。」

太閤は、表向きは遊山を兼ねて、河内、山城、近江、そして尾張へと下向し、そのついでに中村郷に立ち寄るということだった。しかし、老境に入った太閤が、故郷の村への郷愁に駆られたのは想像に難くない。

太閤の行列は、一里も続くかと思うほどの供揃えで、しかも並びない権勢を誇るかのように、遠目にも眩しいほどきらびやかに飾り立てていた。
その主が、この村の百姓達の一人だったとは、誰が信じられよう。

太閤は、ひれ伏す村人達の間を輿に揺られて悠然と通りすぎてゆく。
(あの山も、あの川も昔のままじゃのう。じゃが、さすがに昔のわしのことを覚えておるものはおるまい。)

しかし、その時、あまりの太閤の威勢に頭をすりつける村人のなか、少し表を上げこちらを見ている男がいる。その面影に太閤は覚えがあった。
(あの男・・・。)

月下の再会

その男は、中村郷の村はずれに住む小作であった。
夜も更けた頃、彼の破れかけた粗末な家の前に、質素な服装に身を包み、わずかばかりの供を引き連れて立った人物がいた。それは、誰あろう彼の太閤であった。

「よい、わしが呼ぶ」

トン、トン、トン、トン。

かすかな戸を叩く音に眠りを覚まされ、戸を開けると、そこには月明かりに照らされた太閤の姿が認められた。
「日吉か」おもわずつぶやきが漏れた。
「そうじゃ、何十年ぶりかのう、平助」、笑みをたたえて太閤が応じた。

「これ、控えぬか!」供のものが平助を制する。
「よいのじゃ、しばらく二人にしてくれ」と、今度は太閤が制した。

「平助、わしがおそろしうはないか」
「日吉は、どんなに偉うなっても日吉じゃ」
「相変わらずじゃのう、村の悪童の中で、わしはうぬの手下じゃったからのう」
「今では、日のもとが全部日吉の手下じゃのう」
「はっはっはっ、だからあれだけ、一緒に村を出ようと誘ったではないか。そうすれば、うぬも今頃は城持ち大名じゃ」
「そうじゃのう。じゃが百姓は、『やれ戦じゃ』と侍に追われ、田を焼かれておった。そんな戦の世の中を泰平の世に変えてくれたのじゃ。わしはそれで充分感謝しておる。」
「まことに欲のないやつじゃ」

月明かりの下、松の木の下に、岩に毛氈をひいて即席の椅子がしつらえられた。そこに腰を下ろして、夜がふけるのも忘れて二人は話し込んでいた。

「どうじゃ、うぬが望めばこのあたりを召し上げて、すべてくれてやることもできるのじゃぞ。そうすれば、うぬは尾張一の分限者じゃ。」
「そんなことをすれば村のみんなが困るではないか。かねがね村の衆には世話になっておるからのう。」
「田畑は欲しうはないのか、家のものも楽ができるじゃろう。」
「欲しうはない、と言えばウソになる。しかしのう、これはこれで、わしには充分過ぎるんじゃ。ひっそりと生き、ひっそりと死ぬる。誰に気兼ねも要らぬ。これがわしの今までの生きかたじゃ、いまさら変えることはできんて。」

しばらく沈黙が続いた後、ゆっくりと太閤は口を開いた。

「それに比べて、わしはずっと駆けどおしじゃったのう。おやかたさまの草履取りになり、馬屋番から、足軽に取り立てられ、足軽大将、侍、侍大将、城持ち大名、そして天下人といわれるまでになった。止まったらそれでおしまいじゃと思っておった。しかしのう、身分が高くなるほど、もっともっと早く駆けねばならんかった。遂には、日の本だけでなく、朝鮮にまで兵を差し向けておるのじゃ。」
「日吉はいつも多くの供をつれておるのう。窮屈ではないか。わしにはとても真似できぬ。」
「わしはなんでも意のままにしたいと思ってきた、そして、できたと思っていた。しかし、うぬの話を聞いていると、窮屈な蓑にわれとわが身を閉じ込めている蓑虫のようにも思える。」
「わしは身の丈にあった田畑を耕し、食うに困らぬだけをつくっている。そして、夜は誰にも気兼ねなくゆっくりと眠るのじゃ。それがわしのしあわせなのじゃよ」
「そうか」

もう太閤は一言も発しなかった。

そして、わずかに礼の言葉を述べ、太閤は帰路についた。
平助は、月影のなか、供に囲まれ遠ざかる太閤をいつまでも見送っていた。

一度だけ、太閤は振り返って小さく呟いた。
「平助よ、わしが命がけで求めていたもの全てを、うぬは最初から持っておったのじゃな。」

(おわり)