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01. 今日、町に始めて救急車が来た。

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町長の願い

今日、町に始めて救急車が来た。

そして、町長は、ずっとこの日を待ち望んでいた。
「これで、一人でも多くの命を助けられる」

町長が若いころ、彼の身重の妻が大量に出血をした。
そして、隣町の救急車が駆けつけて搬送を行った。
病院での手当てにより妻は一命を取り留めたが、子供はあきらめなくてはならなかった。
「もう少し早く治療できれば」
「町に救急車があれば」
「町に救急車を」が彼の悲願となった。

救急車が街の消防署に配備されると、町長は早速広報で町民に呼びかけた。
「町民の皆さん、いよいよわが町にも救急車が導入されました。
緊急の際は消防署に救急車の出動を要請してください。
皆さんのお近くの消防署からすぐに駆けつけます。」

救急車導入から暫くたった。
町長の気がかりは、救急車の出動回数の少なさだった。
このような小さい町に救急車があっても、出動しなければならないような緊急の場合は少ないのでないか。
救急車の維持費や救急隊員の人件費を考えると時期尚早だったのではないか、そう町議会で叩かれかねない。

しかし、その状況はやがて好転する。
老人会主催の行事で、熱中症で倒れる高齢者が続出したのだ。
救急車により、さっそく駆けつけた救急隊員はテキパキと応急処置に当たる。
その間、症状の重い人から順次病院に搬送し、大事に至ることはなかった。
この出来事が、町中の耳目を集めたことは言うまでもない。

蔓延する病

徐々に救急車の出動回数は増えていった。
中には、すんでで命が救われたケースも有ったと言う。
やがて、日中頻繁に救急車のサイレンが響くようになった。
町民の要望を受け、2台目の救急車の導入が町議会で決定されるまで時間はかからなかった。
さぞ、町長は満悦なことだろう。

それから、半年、救急車はいつの間にか4台に増車されていた。
消防署には、救急車の出動要請がひっきりなしで、近隣の病院は搬送される患者で溢れかえった。
やがて、町長は深刻な事態に陥っていることを知る。
町の医療費がうなぎのぼりなのだ。
こんなことは、以前はなかったことだ。このままでは、町の財政が破綻する。
なぜ、こんなことが起きているのか?
緊急時の医療体制が救急車により強化され、町民の健康増進につながっているのではなかったか。

異変の原因は身近に存在した。
最近、朝夕散歩する人がメッキリ減った。
朝のラジオ体操も参加者が減っている。
反対に、アルコール類やタバコの税収が増えている。
どうやら、以前に比べて健康に無頓着になっているようだ。
そういえば、最近、海や山の事故も増えている。

町長には、ハッキリと分かった。
いま、この町には病気が蔓延している、その原因が。

病を運ぶ救急車

折しも、議会では、5台目の救急車の導入が検討されていた。

それに対して町長が提出したのは、「救急車を1台に減らす」動議であった。
議会は唖然とした。町長が何を言っているのか理解できなかった。
やがて、それは激しい抗議となった。
「そもそも救急車導入は貴方が推進したことでなかったか。
確かに町の財政が厳しいのは分かる。
しかし、財政のため町民の健康や命を切り捨てるのは、行政の身勝手だ」

町長は、しかし、一呼吸置いてこう語りだした。
「皆さんの仰ること重々承知しています。
しかし、同時に思い出しても欲しいのです。
昔、この町にこんなに病気が蔓延していたでしょうか。
確かに救急車は町民の皆さんの健康や命を守るため導入しました。
しかし、皆さんの健康状態は救急車を導入する前より悪くなっています。
それは、医療費の増加、死亡率の上昇で明らかです。
それは、何故か?
それは、ひとえに町民の皆さんが健康の基本を忘れてしまわれたからです。
つまり、自分の身体を守るのは、つまるところ自分自身なのです。
以前は町に救急車がなかったため、『病気や怪我をすると助からないかも知れない』と言う危機感があった。
自分の身は自分で守ろうと言う意識があった。
そのため、アルコールやタバコは控え、運動も心がけていた。
また、危険な場所は避けようと言う意識も働いていた。
しかし、昨今はどうでしょうか。
いつでも、救急車が駆けつけると言う気安さから、自分の健康は自分で守ろうと言う意識が下がって、やりたい放題になっているのではありませんか。
病人を運ぶはずの救急車が、むしろ病気を運ぶ結果になっていることを憂慮するのです。
故に、ここに私は、現在4台の救急車を、最低限の1台に減車することを提案するものであります。」

さて、この後、いろいろと紆余曲折はあったものの救急車は2台に減らすことになった。
やがて、1台に減るのも時間の問題のようだ。
ただ、町民の健康が元に戻るかは、もう少し観察する必要があるようだが。

(おわり)