マイ・ノベル・バンク

ここはオリジナル小説の貯蔵庫です。気に入ったらちょっとの間お立ち寄りください。

27.しょうこへ #2【たった一人の読者】

f:id:FairWinder:20160812185602j:plain
注意:この作品はフィクションです。実在の人物、団体とは一切関係ありません。

喧騒の後

店内では、後に残された山田のお母さんと、あと2人のスタッフがあっけにとられていた。
「びっくりしたあ。一時はどうなることかと思ったわ。」
「それより、店長が行ってしまったら、あとお店どうしましょう。」
「アホか!それどころかあるかい。ホンにナンも考えんと飛び出してしもうてからに、あん人は。そや、それより警察や。はよ、電話して。」
「えっ、私ですか?でも、何て言うんですか?凄く怖い不良の2人組みにうちの店員が追いかけられて、それをうちの店長が追いかけていっちゃいましたあ、っていうんですか?」
「そうやな、あのオッチョコチョイ、後先考えんと飛び出したな。」
「でしょ、でしょ・・・逆に怒られちゃいますよ。」
「もう、そんなこと言うてる場合かいな。電話機、貸しい。うちが電話したる。」
「でも、あんな怖い人達に関わって、店長にもし何かあったらどうしましょう。」
「そや、こんな時におるやないか?」
「誰です?」
「そやから、北野君や。今日どうしとる?」
「昨日は遅番だったから、まだ寝てるかも知れませんよ。」
「ええわ、こんな時にたよりになるんはああいう男や。すぐ来てもらお。
それより、あんたら、お客さん待たせてるで。」
「はい。」

通話

慌てて店を飛び出した深結稀(みゆき)であったが、完全に祥子(さちこ)と男子2人を見失っていた。
(しまった・・・私がついていながら。どうしよう。)
深結稀は、彼らを見失った路地の前で途方にくれて立ち尽くしていた。
そこに、荒い男子の喚き声が聞こえてきた。深結稀は、ハッとして物陰に身を潜め、身体を固くした。
「くそお、あの女どこに行きやがった。」
「ヒロくん、あの店に戻って、くそ生意気なおばはん締め上げてやろうか。」
「やめとけ、どうせ今頃警察を呼んどるやろ。それより、急いであいつら呼び集めて、この辺をしらみ潰しにしろ。」
「わかった。」

(良かった、捕まらなかったんだ・・・。でも、このままじゃあ。)
やがて、バタバタと男子たちが駈け去る音を聞いて、急いで深結稀は携帯を取り出した。そして、慌てて祥子の連絡先を呼び出そうとして、始めて手の震えに気がついた。無理もない。さっきまで想像もしなかった非日常が、急に目の前に現実となって現われたのだ。
やっと、祥子の携帯番号を見つけて、電話をかけた。
(お願い、出て・・・。)
プルルルル、プルルルル、プルルルル・・・コール音とコール音の間が長く感じられる。そして、10回目に「ただいま電話にでられません・・・」と留守番電話の案内がうつろに流れた。
深結稀は一度電話を切ると、深呼吸してもう一度かけ直した。
プルルルル、プルルルル、プルルルル・・・4回目、「プッ」と音がして応答に切り替わった。
「店長お・・・。」
祥子だ。(良かった。)
「さっちゃん、大丈夫?今、どこにいるの?」
「店長お、わたし・・・。」
「落ち着いて。あなた大丈夫ね。」
「大丈夫だよ。」
とは言うものの、すっかり声がうわずっている。
「良かった。今どこにいるの?」
「あのね、2丁目の焼き鳥屋さんあるでしょ。その横の路地をずっと入っていって、電車の線路の下をくぐったところの倉庫なの。」
「その中にいるのね?」
「うん。鍵がかかっていなかったから、中に入って隠れているの。」
「わかったわ。いい?そこを動かないでね。今行くから。それからね、見つからないように奥に隠れているんだよ。」
「うん・・・。」
「すぐ行くから、落ち着いてね。」
「ねえ、電話切らないで。」
「えっ?」
「電話切らないで・・・ひっ、ひくっ・・・。」
祥子が電話の向こうで、しゃくりあげ始めた。
まずい、このまま取り乱して、大きな声を上げでもしたら、彼らに見つかってしまう。
「わかった、切らないから。だから、落ち着いて。」
電話をつなぎながら、深結稀は小走りになった。

「あのね、店長う・・・。」
「深結稀でいいわ。」
「あのね、深結稀さん。昨日ね、絵梨が来たんだ。」
「絵梨って、ひょっとして、あの前店に来ていた子?」
「そう、あのね、絵梨は中学生からの友達なんだ。わたしね、中学生のころもクラスに溶け込めなくて、みんなから浮いてたんだ。そうしたら、絵梨もあんなだから、いつも2人だけでつるんでいたんだよ。」
深結稀は、祥子が落ち着けるようしゃべるに任せていた。
「高校では別の学校になったんだけど、しばらくは週に一回は会って遊んでいたんだ。でも、そのうち絵梨には彼氏ができて、なかなか会えなくなったんだ。」
「あの、ヒロトって子ね。」
「前からヒロトには、かなり危ないってウワサがあったの。とても心配していろいろ言ったけど、でも絵梨はすっかり舞い上がっちゃって。そうしたら、ヒロトに言われて、わたしにお金を借りに来るようになって・・・。そのたびにもの凄く怒ったんだけど、全然駄目で。」
「そうだったの。」
「そうしたらね、昨日うちに来たんだ。ひどい顔で。顔や腕にひどい痣やみみず腫れがあったの。お父さんに見つからないように二階に上げて訳を聞いたら、『ヒロトから逃げてきた』っていうんだ。あの子、ヒロトに貢ぐためにいろんな友達にお金を借りてたら、だんだんと友達とも気まずくなって、『もう勘弁してくれ』って頼んだら、ヒロトはもの凄く怒って、絵梨を叩いたり殴ったりしたんだ。そして、『金が持ってこれないのなら身体で稼げ』って言われて。だから、もう絵梨は耐え切れなくなって、隙を見て逃げてきたんだ。」
「あの子たちは、その絵梨さんを探しているのね。今も、彼女はあなたの部屋にいるの?」
「うん、腫れがひいたらこっそり家に帰すつもりだったけど、こんなことになっちゃって・・・。」

と、その時、「コラあ、そこに隠れとるんか」という荒い声が電話の向こうから聞こえてきた。そして、急に「ブチッ」という音を残して電話が切れた。
(さっちゃん、見つからないで。)
深結稀は早鐘を打ち始めた心臓にせかされるように全力で駆け出した。

大立ち回り

(あっ、あった。焼き鳥屋さん。この路地の奥ね。)
路地を奥へ進むとだんだんと人気のない寂しいところへ入っていく。こんなところで見つかったら、それこそ袋のネズミだ。
(どっちかな。右は、あっ、行き止まりか。左は、あった、トンネルだ。)
電車の高架下のトンネルをくぐると100メートル先に倉庫が見えた。そして深結稀は息を切らしながら最後の100メートルを全力で駈けた。

「イヤあ、イヤああああ。」
倉庫の前で急に甲高い少女の悲鳴が響いた。
(さっちゃん・・・!!)
深結稀は、たまらず後先考えずに倉庫に飛び込んだ。
倉庫の中には、5、6人のワルそうな男子高校生が、祥子を取り囲んでいた。その輪の中心でヒロトが祥子の髪の毛を掴んで引きずり回している。男子達に引きずり出された祥子は顔を真っ赤にして泣き叫んでいた。
「ちょっと、あなたたち、女の子になんてことするの。」
思わず声を上げた深結稀に男子達が一斉に振り返った。
「なんだテメエは。」
「でてけえ、コラア!!!」
口々に汚い言葉を吐き出す男子たちにもひるむことなく、深結稀は脱兎のごとく駆け出した。そして、あっけにとられている男子達の間をすり抜け、ヒロトに肩から体当たりを食らわせた。
虚をつかれたヒロトは、バランスを崩して祥子の手を離し、さらに無様にしりもちをついた。そして、顔を醜く曲げて歯を剥き「何しやがるんだ、テメエ」と怒気を発した。
深結稀はそのまま、祥子の頭を庇うように覆いかぶさった。
「み、深結稀さあん・・・ひっ・・・。」
涙に顔をくしゃくしゃにして、祥子はやっとそれだけ言った。
よく見ると右の頬がひどく腫れている。ひきずりだされる時に激しく殴られたのだ。
「帰るわよ、さっちゃん立てる。」
深結稀は祥子を励まして立ち上がろうとした。
そこへ、立ち上がったヒロトが深結稀の背中からバーンと蹴りを食らわせて、2人を地面に転がした。

「おいっ、金属バット貸せや」
暗く低い怒気のこもった声でヒロトが仲間に命令をした。
「ヒロ君、それはちょっと・・・まずいよ。」
「テメエ、俺に逆らうとお前からやっちまうぞ。」
怒りに我を忘れているヒロトに恐れた仲間は素直に金属バットを渡した。
深結稀は恐怖で魂が冷たくなるのを感じていた。そして、ただ歯を食いしばって眼を閉じ、固く固く祥子を抱きしめた。
ヒロトは、醜く顔を歪めて金属バットを掴んだ腕を後ろ一杯に振り上げた。そして、まさに振り下ろそうとしたその時。
ヒロトがこちらに向かって来る角材を眼の端に捉えたと思ったら、その角材が以外に伸びた。グングングンと何メートルも伸びたように思えた角材が、その刹那、金属バットを掴んでいたヒロトの拳を激しく打った。

「グキッ」鈍い音がして、ヒロトがうずくまった。拳が砕けたのだ。
気をのまれて、あっけにとられた男子たちに向き直ったのは北野であった。
「もうやめないっすか?子供相手に本気を出すと怒られるんだよね。」
だが、むしろ男子達はその言葉に景色ばんだ。
そして、獲物を持っている2、3人が歯をむき出して、北野を取り囲んだ。
「かかってきたら遠慮はしないよ。」
北野は角材を構えて男子達を威嚇した。
それに気おされて男子達はジリジリと後じさり始めた。
たまらず、後ろの2、3人はバラバラと倉庫の入り口に向かって走り始めた。
ところが、そこに2人の警官が現われて、彼らは動けなくなった。
「おい、お前ら何をしている。」
山のような体つきの警官たちを見て男子達は、すっかり戦意を失ってしまったのだ。

その後

それから3日後、深結稀と北野は緊張した面持ちで、本社の社長室前に立っていた。
「店長・・・、緊張してますか。」
「あ、当たり前よ。あんなことがあって、しかも警察で事情聴取までされて。そしたら、いきなり3日の自宅謹慎よ。そして謹慎開けに社長に呼び出されてるんだから。」
「店長、結構タフッすねえ。あんなことがあった後に、そんなことを考えている余裕があるんだから。正直殺されることろでしたよ。」
「北野君、今更だけど本当に有難う。あなたは私たちの命の恩人だわ。」
「そうですよ。普通順番が逆でしょ。祥子ちゃんの後を追いかけたまではいいっすよ。そして、高校生達と祥子ちゃんがいる場所を突き止めたら、普通そこで警察に連絡ですよ。」
「もう、君もあの場にいて御覧なさいよ。うちの子が髪を掴まれてひどいことされてるのよ。飛び出すなって言うほうが無理よ。」
「でも、おかげで警察で物凄く怒られたでしょ。『そういうことは警察に任せるように』って。」
「君だって一緒でしょ。同じ一般市民なんだから。でも、高校生に大怪我を負わせてるのによくアッサリ放免されたわね。」
「そんな、おおげさっすよ。ちょっと、手の甲の骨を砕いただけじゃないすか。それに、警察には剣道の師範としてよく通ってるから、知り合いばっかりっす。『北野師範の勇気有る行動には感服しました』って感謝までされたんですから。」
「へえ、達人だって噂だったけど、そこまでとは思わなかったわ。知ってたら、何をおいても君に連絡をしたわよ。」
「そうですよ、これからお願いしますね。それに聞けば、親御さんにも連絡していなかったそうじゃないですか。店長、意外にリスクマネジメントに弱いですね。」
「もう思い出させないで。向こうのお父さんにも、ものすごく怒られたんだから。」
「でも、祥子ちゃんがきちんと説明をしてくれて、最後はお父さん店長の手を握って男泣きしていたでしょ。」
「でも、そう言えば、どうして北野君は私の居場所がわかったの?」
「まあ、途中電話してもずっと話し中でしたからね。でも店長、何遍も言って悪いですけど、本当にオッチョコチョイすね。いいですか、本部には緊急事態に備えて全店長の携帯を追跡するシステムがあるんですよ。山田のお母さんから『あん子どこ行ったか分からんようになってしもうた』っと電話があったんで、すぐに本部に電話して居場所を調べてもらったんですよ。あとは、ずっと本部に誘導してもらって倉庫まで駆けつけたんです。」
「さすがあ、こういう時、男の人ってたよりになるのね。」
「まあ、店長の一大事だったから、張り切ったっていうのもあったんすけど。」
「えっ、どういう意味?」
「まあ、いいです。忘れてください。」

やがて、カツカツと響くハイヒールの音に振り返ると、エリアマネージャーの澤木律子の姿があった。
「澤木さん、このたびは本当にお手を煩わせて申し訳ありませんでした。」
「本当に・・・あなたたちは馬鹿な・・・。」
怒りかけた律子だったが、急に言葉を詰まらせた。
そして、深結稀に歩み寄ると、肩を強く抱いて、「本当にごめんなさい。あなたには取り返しのつかないことをするところだったわ。」と涙声に詫びた。
「澤木さん、謝らないでください。悪いのはわたしの方なんです。」
深結稀もすっかり恐縮して律子に詫びた。
やがて、律子は深結稀から身体を離し、北野に向き直ると彼にも深々と頭を下げた。

「失礼します。澤木です。社長よろしいでしょうか。」
律子が扉の向こうに声をかけると、「どうぞ」と社長室の奥から低い声が響いた。
いつもと比べると、かなり機嫌が悪そうだ。
さっと、深結稀と北野の顔に緊張の表情が現われた。
「店長、僕らどうなるんでしょうかね。」
「あなたは、大丈夫よ。」

律子に続いて、深結稀と北野は社長室に入った。
そして、律子が開口一番、「社長、このたびはたいへんご迷惑をおかけしました。すべて私の責任です。」と頭を下げた。
思わず、深結稀と北野も「申し訳ありませんでした。」と頭を下げる。
社長の都城は不機嫌そうにそれを聞いていたが、やがて重い口を開いた。
「まずは、君達の身に何もなくて何よりだ。それに、君達のような侠気あふれる行動は私としても嫌いではない。
ただ、私は多くの社員を預かる企業家だ。その立場で言わせてもらえるならば・・・だ」とそこから都城の長い説教が始まった。

まず、深結稀に対しては、相手が札付きのワルということで警察も同情してくれたこと、相手の高校生やその保護者にも弁護士を通じてもう2度とこのようなことをしないようにしっかり脅しつけたこと、また幸いにして今回のことが一切表ざたにならなかったこと・・・は良いとして、
一つ、会社を代表する店長としてこのたびの行動は実に軽率だった
二つ、会社や 警察に対し適切な報告を怠り、関係者を危険にさらした
三つ、自分の不注意で何日も謹慎を受け、その穴を埋めるために澤木を東奔西走させた
四つ、早い時期から問題に気づきながら、相談を怠り今回のような事態を招いた
都城が指を折りながら数える失態を深結稀は冷や水を浴びせられたような気持ちでうなだれて聞いていた。
北野には、子供相手に大立ち回りを演じ、ましては相手の高校生に大怪我を負わせるとは何事か!と大きなカミナリが落ちた。
と、ここまでまくし立てると都城は口調を変えて、「とまあ、ここまでが俺の経営者としての建前だ。問題はあったが、俺は君達が立派だったと思っている。せめて、2、3日ゆっくりしてもらおうと謹慎をプレゼントしたがゆっくり休めたかね。」
「社長、あまり彼らを苛めないで下さい。さっきまで2人とも死にそうな顔をしていたんですから。」
「いや、失敬、失敬」そう都城は愉快そうに笑った。

たった一人の読者

「いやあ、冷や汗かいたですね。」
「ほんと、一時はどうなることかと。」
「2人とも今日からまた頼むわよ。」
「はい。でも、澤木さん、あの後、祥子さんのところへは行かれたのですか。」
「ううん。やっぱり我慢した。もし『母親です』って出て行ったら、余計あの子を傷つけてしまうわ。」
「そうでしたか。でも、今回のことでは少し失敗しましたけど、お嬢さんは困っている友達をほおって置けない真っ直ぐで正しい娘さんに育っています。」
「それに私がいなくても、あの子にとって母親以上の存在が傍にいるんですもの。」
「それ、店長のことですか?
ん?ちょっと待ってください。澤木さんと祥子ちゃんはそういう関係だったんすか?ひどいなあ、そうならそうと言ってくださいよ!」
「あれっ、今頃気がついたの?鈍いなあ。それに、このことはさっちゃんにもモチロン、お店の人にも絶対内緒だからね。」

律子と別れた2人は、エレベーターで本社が入居しているビルの1階のフロアに下りてきた。
その入り口の植え込みに祥子がうなだれて座っていた。
「あっ、さっちゃん・・・」
声をかけると祥子は立ちがると2人の方に駈けて来た。
「ねえ、さっちゃん、もう身体は大丈夫なの?」
「深結稀さん、本当にゴメンナサイ。みんなわたしの所為で。まさか、深結稀さん、お店をやめさせられたりしないよね。」
「大丈夫よ、かなり怒られたけど、社長もちゃんとわかってくださって、一切お咎め無しよ。」
「よかったあ。でも、わたしは?んやっぱりわたし、辞めなきゃいけない?」
「大丈夫よ!あなたは正しいことをしたんだよ。ただ、もうちょっと大人を信用して欲しかったけどね。ホラ、胸を張りなさい。」
「ありがとう、深結稀さん。」
「でも、どうしてそんなにうちの店がいいの?他にももっと楽な職場はあるだろうに。」
「ううん、この会社がいいの。この店じゃなきゃ嫌なの。」
「そりゃ嬉しいけど、どうして?」
「だって、深結稀さんがいるから。」
「店長、コクられてるんすか?モテモテですね。」
「こら、北野君、からかわないで。」
「ううん、深結稀さんがいるから働きたかったんだ。」
「そんな面識もなかったのに、どうして私のいる店がいいって思うわけ?」

「深結稀さんのことは3年前から知っていたわ。」
「えっ、そのころ会ったことあった?」
「会ったんじゃなくて、ブログで知ったの?深結稀さん、いつもブログで『しょうこへ』って呼びかけているでしょ。」
「えっ、まさか、そんな・・・いつも見てくれているの、さっちゃんだったの・・・・。」
「そうよ。わたしの名前の祥子は『しょうこ』とも読むでしょ。小さい頃の記憶だけど、お母さんと一緒に暮らしていた時、いつも家では『しょうこ』って呼ばれていたの。そのお母さんとは、お父さんと離婚してから会えなくなっちゃったけど、ブログで『しょうこへ』と書いてあるのを見て、きっとこれはお母さんだ、お母さんがわたしに読ませるために書いてくれているんだ、と思うようになったの。」
聞きながら深結稀の胸はだんだん熱くなってきた。
「読んでるうちにこの人がブログに書いているのは、都城珈琲の新町店のことだって分かったの。もしかしたら、お母さんかも知れないと、しばらく通ったけど、それらしい人は居なかったわ。でも、ある時、ブログで深結稀さんが女子高生と話をしたことを書いていたよね。その時の女子校生が私だったの。それで、ブログを書いている人が深結稀さんだって分かったけど、お母さんしては年が若いし。
でも、わたしね、いつか深結稀さんと一緒に働きたいって思うようになったんだ。」
しかし、深結稀は祥子の言葉を聞き終わると、その場にしゃがみこんでしまった。
そして、両手を顔で覆って、いくら北野が声をかけてもしばらく動こうとはしなかった。

幸せな時間

その日の夜11時。
また、いつものように深結稀は灯りを落としたフロアの窓辺でパソコンに向かっていた。
「しょうこへ
もうどれくらい、お母さん、あなたに呼びかけているでしょうか。
本当は、この呼びかけがあなたに届いていないんじゃないかって、寂しく思っていたの。
でも、今日あなたは別の女の子に姿を変えて答えてを返してくれた。
だから、お母さん、いつまでも、いつまでもあなたに向けて書きつづけるわ。
とても大切なわたしのしょうこへ。」

(おわり)

26.しょうこへ #1【珈琲店 23時】

f:id:FairWinder:20160812020505j:plain
注意:この作品はフィクションです。実在の人物、団体とは一切関係ありません。

あらすじ・・・

多田深結稀は34歳、コーヒーチェーン「都城珈琲」の店長である。日々店とアパートの往復を繰り返して仕事に打ち込む深結稀であったが、過去につらい思い出を抱え、その気持ちのやり場を毎晩深夜のブログに求めていた。
物語は深結稀と少女店員の祥子を中心に展開する。祥子は、深結稀の上司、澤木律子の娘であった。そして、律子もまた深結稀と同じ辛い過去を抱えていた。
深結稀、祥子、そして律子、3人の人生が交錯し、やがて深結稀に幸せな時間が訪れる。

この作品は・・・

日本中にどれくらいのブロガーがいて、またプログが存在するのでしょうか。100人に一人でも100万人以上のブロガーがいることになります。
すると、この話の主人公の深結稀が毎晩根気よくプログを書き続けても、なかなか閲覧しては貰えないと思います。
でも、深結稀がブログを書き続けた目的は多くの人に見てもらうことではありませんでした。たった一人にだけ見て貰えば良かったのです。
そんなプロガーがいても素敵だな、という思いから膨らませた作品です。

珈琲店 23時

あわただしい一日が終わり、フロアの灯りを落とすと店に静寂が訪れた。
時計は、午後11時、これから終電までの1時間足らずが大切な時間なのだ。
彼女は、窓辺の小さなダウンライトの下でパソコンに向かい、いつもの言葉でブログを書きはじめた。

「しょうこへ」

彼女は一度パソコンから顔を上げ、一瞬遠い眼をして、また画面に向かった。

「きっと、あなたはもう眠っていますね。
しょうこはまだ小学生だから。
いま、あなたはどんな夢をみていますか。
お空の夢ですか。
鳥になって、青い空と白い雲の間を飛べたら気もちがよいでしょうね。
海の夢ですか。
お魚になって、海の底から波の上に輝く太陽をみたらステキでしょうね。
わたしはひどいお母さんだから、もうしょうこにはあえないの。
せめて、夢のなかだけ、白い雲になって、そっとあなたのそばに飛んでいきたいな。
しょうこ、おやすみなさい。
いい夢を。」

そこまで書いて、もう一度内容を見直してブログを公開する。
そして、パソコンを閉じて軽く伸びをした。

「あっ、店長、遅くまでお疲れ様です。」
奥の厨房から男性が顔を出した。
「北野さん・・どうしたの。こんな時間に。確かあなた、明日早番じゃなかった?ゆっくりしていると、すぐ夜が開けるわよ。」
「ええ、まあ、そうなんですけど、昔の友達と飲んでたら、こんな時間になっちゃって。それで酔い覚ましで歩いてたら、ちょうど店の前を通りかかったんで、ちょっとね。」
「そう、ほどほどにね。」
「そういう店長も、明日は朝から店長会議でしょ。夜更かしして居眠りなんかしたらどやされますよ。」
「大丈夫よ、報告書はもうまとめてあるし、あとは家へ帰って寝るだけだもの。」
「そっか、店長おひとりですもんね。気楽でいいっすねえ。」
「君ねえ、そんな言いにくいことをよく言うね。女が一人で生きていくのは、ものすごくたいへんなのよ。」
「男でも一緒っすよ。」
「あなたは、まだ若いからいいわよ。それに、たいへんだと思うならさっさと身を固めたら。」
「店長こそ、まだ全然若いし、結婚とか考えないんですか?」
「あんなものは一度すれば充分よ。」
「えっ・・・あっ、俺なんか悪いこと聞きました?」
「大丈夫、気にしなくていいわよ。」

北野にも手伝ってもらい、店の戸締りを終えた彼女は夜の街へと歩き始めた。
彼女の名前は、多田深結稀(ただみゆき)。この都城(としろ)珈琲の主力店の一つである新町店を任されている。歳は今年34歳になる。
店は朝7時から夜22時まで営業している。それを、6時から14時、11時から19時、17時から23時の3回シフトで回している。重なっている11時から14時、17時から19時は繁忙期への対応のためだ。これで少人数で効率よく店の運営をしている。
深結稀は11時から最後まで入店していた。会社の規定よりも長くなるが、店長として繁忙期に不在というわけにはいかない。そして、22時に閉店後、他のスタッフに掃除を任せて、明日の仕込みやレジをチェックする。そして23時には、全ての業務が終わりフロアの灯りを落とす。
それから、終電の時間までの1時間に毎日深結稀が続けていることがあった。それは、日記代わりのブログの更新である。深結稀は、もう7年以上もこのブログを続けている。店長になる前から、そして店長を命じられてからも忙しくはなったが1日も休むことなく続けてきた。日によって短いこともあれば、長いこともある。

店をでて10分ほどで地下鉄の入り口がある。そこから3駅で降りて、さらに5分歩けば深結稀の住んでいるアパートに着く。
家族もいない一人暮らしで、昼夜の食事も店のまかないで済ませているので、アパートには殆ど寝に帰るだけであった。遅くとも午前2時までには床に就き、翌朝10時にはアパートを出る。その繰り返しで日々が過ぎていった。

母の思い

都島珈琲では2週間に一度、本社の店長会議が開かれていた。
10時からの会議に間に合うため、その日は1時間早くアパートをでなければならない。そして、会議は20店の店長全員とエリアマネージャー、そして社長の都城が同席して行われる。会議は、諸連絡、エリアマネージャーによる各地区の業績報告と、店長からの意見聴取、社長の訓示と続き、1時間余りで終了する。

今からなら、本社から近い新町店には入店数がピークとなる12時までに入店できそうだ。深結稀がそんなことを考えて、本社を辞そうとしていた時、エリアマネージャーの澤木が声をかけてきた。
「ねえ、少しいいかしら。」
澤木律子42歳、新町店を含むエリアの女性マネージャーである。
澤木は深結稀を同じフロアーのコーヒーコーナーに誘った。コーヒーコーナーと言っても、珈琲専門店のこと、外部の来客にも恥ずかしくないように焙煎された本格的なコーヒーが飲める。そして、二人きりの話ができる打ち合わせスペースも併設されていた。
「ごめんなさいね、忙しい身なのに引き止めてしまって。」
「いいえ、まだ時間的に大丈夫ですから。」
コーヒーの香りが漂う席につくと二人は会話を交した。

「それで、どう、あの子ちゃんと勤まっている」
「祥子(さちこ)さんのことですか。」
「ええ・・・世話をかけるわね。」
「最初のうちは少し戸惑っていましたが、ここのところかなり覚わってきたようです。」
「そう、でも店のスタッフに迷惑をかけていないかしら。」
「まあ、そこは、まだ女子高生の年齢ですから、多少は大目に見るように伝えています。気にしないでください。それより店が若返って雰囲気良くなりましたよ。」
「そう言ってもらうと救われるわ。」

話題の主の亜麻野祥子(あまのさちこ)は、8月から深結稀のもとで働いている。年齢は16歳。
最初は、本人が直接、働かせて欲しいと都城珈琲の新町店を訪ねてきた。
その対応を行った深結稀は、スタッフに不足をしていなかったので「現在店員の募集はしていない」と伝えて一旦断った。しかし、何でもするし、役に立てるまでは給料も要らないと祥子は粘った。それで、とりあえず「あなたはまだ未成年だし、きちんとご両親の許しを貰ってきなさい」と帰したのであった。
ところが後日、当の祥子の父親がエリアマネージャーの律子を訪ねてきた。そして、なんとか祥子を新町店で雇ってもらえないかと頼んだのである。

実は、祥子の父親の亜麻野浩樹と律子は元夫婦であった。そして、祥子は律子の血のつながった娘なのだ。ただ、2人は祥子がまだ3歳の13年前に離婚している。
原因は律子の方にあった。当時、律子は夫の浩樹以外に懇意にしている男性がいた。そして、真面目一辺倒の浩樹に飽き足らず、もう一人の男と逢瀬を重ねていた。
仕事も忙しくなり、家庭がおろそかになっていたところに、他の男性との道ならぬ逢瀬が発覚したのだ。
浩樹は怒り、かつ動揺をした。そして、一方的に離婚を通告した。
身から出た錆である。律子はそれを受け入れざるを得なかった。また、祥子の親権が認められず、接見も禁止された。それすらも、律子は泣く泣く受け入れたのだ。

それから律子は、男性との関係を清算し仕事を糧に独り身を貫いている。また、浩樹も同じように独身のままだった。
祥子は母恋しい時期に、いきなり母親と引き離されて父の手一つで育てられてきた。そのせいか、人を信用しない、どこかすねた感じを持つ子供であった。小学校でも、中学校でもよく問題行動を起こしては浩樹を困らせてきた。しかし、浩樹は父親として至らない自分を責め、祥子には精一杯我がままをさせていた。やがて、高校に進学した祥子であったが、いつも気分次第で周りを振り回す彼女と、クラスの他の生徒が対立した。そして、クラスが結束して祥子の退学を願い出たのだ。
とはいえ、学校側としては対応に苦慮をする。だが、結局、祥子のほういたたまれなくなり学校を飛び出した。まだ、夏休み前のことであった。
それからの祥子はお決まりの転落の人生を歩むかと思われた。だが、父親に対して、働きたい店があるから認めて欲しいと言ってきた。父親は娘の行く末を案じていた矢先の意外な展開に驚いた。しかし、聞けば店は店員募集をしている訳ではなさそうだ。いくら娘の願いでも店に迷惑をかける訳にはいかない。ただ、店が律子の勤める都城珈琲の店舗と聞き、意を決して会社に元妻を訪ねたのだ。

浩樹は、「これは君を許したわけではない、祥子にも近づいて欲しくない。その上で虫のいい話だとは思うのだが、新町店で採用して欲しい。」と申し入れた。事情を聴き、律子も事の重さが分かった。もし、断れば娘は道を誤るかも知れない。そして、浩樹の申し入れを全面的に受け入れることにした。
澤木律子に、相談を受けた深結稀は、律子の事情を自分に重ね合わせていた。深結稀にも、今はもう会うことができない一人娘がいるのであった。

「あなたには無理を聞いてもらって感謝している。」
「長い間会えなかった娘さんがすぐそこにいるのに、声もかけられないなんてお察しします。」
「いいえ、多田さん、あなたが私の目になってくれるから安心できるわ。今はあの子を近くで見守ることができるのよ。」
そういって、律子はかすかな笑みを浮かべた。

しょうこへ

その夜、営業が終わった後の店で、深結稀はいつものようにブログを書いていた。

「しょうこへ
今日も一日たのしかったですか。
お母さんにも、あなたに教えたい面白いはなしがあります。
お店にね、さっちゃんという子がいるでしょ。
その子がね、お仕事をほっておいてどっか行っちゃったの。
みんなブーブー言いながら探していたわ。
そうしたらねえ、顔に白いペンキをつけてお店に入ってきたの。

『あんた、この忙しい時にどこにいってますねん』って、山田のお母さんが怒ったら、なんと表の花壇のブリキ人形に色を塗っていたんですって。
さっちゃんは、『せっかくの美人が、眼から涙流して可哀想』って言うのよ。
しばらく、そのままにしたあったから、雨に洗われて錆がついていたのね。眼から下にも茶色い線が入って、まるで泣いているみたいに見えたんだわ。
『だから、塗りなおしたんだよ。店の入り口で泣かれてちゃ店の評判が落ちるでしょ』ですって。
お母さん、それを聞いて思わずおかしくって。
声をだして笑っていたら、山田さんには『店長からそれでは困りますがな。そういうことはキチッとしてもらわんと。』って怒られたけどね。

さっちゃんってね、気まぐれで身勝手で、だからみんなに誤解されやすいけど、お母さんにはものすごくいい子に思えるの。
もし、しょうこが大きくなって、この町に来ることがあれば、さっちゃんのきれいに塗ってくれたブリキさんを見にきてね。
じゃあ、おやすみなさい。よい夢を。」

深結稀は、ブログにお店や身のまわりで起きたいろいろなことを書いていた。さすがに迷惑をかけるといけないと思って店の名前は出さないが、長い間読み続けていれば、都城珈琲の新町店のことを書いていることは誰にでも分かった。

深結稀は、必ず「しょうこへ」という呼びかけでブログを始めた。
しょうことは、深結稀の実の娘で、篝谷唱子(かがりたにしょうこ)のことである。
姓が異なることからわかるように、深結稀もまた唱子とは離れて暮らしている。
唱子の父親は、篝谷雅哉といい、商社に勤める若手社員であった。また古くから続く旧家の跡取りでもあった。若かった深結稀は雅哉のスマートな容姿に魅かれて、繰り返しアタックをした。そして、遂に彼の心を射止めることができたのだ。しかし、彼が旧家の跡取りであることを理解していなかった。

彼の希望で結婚とともに深結稀は会社を辞めて、篝谷家に入った。ところが、たよりの夫は会社にでかけて、日中はずっと旧家のしきたりに凝り固まった舅や姑、出戻りの小姑と過ごさねばならなかった。やがて結婚前は隠していた彼らの本音が露わになっていく。「家柄もよくわからない、どこの馬の骨とも知れない嫁」、彼らの旧家プライドがそう思わせるのだった。
雅哉の前では、みんな深結稀を気遣いながらも、彼がいないところでは、ことあるごとに深結稀の不調法を責めた。まるでできの悪い女中につらくあたっているようであった。
それでも、深結稀はよく耐えた。とても心が強く我慢強い娘なのだ。しかし、それが却って彼女を追い詰めた。

やがて、子供が生まれて子育てで忙殺されるようになっていく。その子が唱子である。今までの家のことに加え、子育ても完璧にこなして、良妻賢母を演じようとした。しかし、唱子は神経質で癇の強い子供で、ことあるごとに彼女を困らせた。それが周りから見ると全て深結稀の不手際に見える。そして、それを言い立てて彼女を攻め続けた。さらに唯一理解者である夫の雅哉も不足を言うようになっていった。
それをジッと溜め込んだ彼女は重い育児ノイローゼに悩まされることになる。そして、ある日、とうとう耐え切れずに、全てを投げ捨てて篝谷家から逃げ出したのだ。

これ幸いとばかりに篝谷家は深結稀に縁切り状を送りつけてきた。深結稀には、庇ってくれると思っていた夫がそれに異を称えなかったことがショックだった。
そうして、深結稀は一方的に篝谷家から出され、唱子とも会わせてもらえなくなった。それでも、深結稀は唱子の親権を争おうとは思わなかった。それほど、その時の深結稀は深く傷つけられ、疲れきって、恐怖に打ちのめされていたのだ。
深結稀25歳、唱子1歳の時であった。

それから、1年ほど実家で過ごすうち、ひどく打ちのめされた深結稀の心は徐々に回復していった。そして、自分を変えるために、都城珈琲にスタッフとして就職し、実家も離れて8年が経つ。
深結稀は唱子のことを振り払うように仕事に没頭した。やがて、店になくてはならないスタッフになった時、ポッカリ空いた心の穴に気がついた。それは、一時期ではあったが愛情を注いだわが子への思いである。
そうして、その時から愛娘の唱子に向けてブログを書いている。
もちろん、唱子自身がそれを知ることはないだろう。しかし、誰でも閲覧できるような公開ブログなので、もしかしたらいつか娘の眼に留まる日が来るかも知れない。そんな淡い思いを込め書き始めたブログであった。
ただ、世の中にブロガーは何百万人、何千万人いるかも知れない。その中でブログを書き始めても全く閲覧されなかった。たまに、他のブログから迷い込んだと思われる読者が閲覧してくれるが、1週間に1人とか、1ヶ月に2人とかのペースがしばらく続いた。それでも、深結稀はたった一人に届けば良いと自分を励ましてブログを毎日更新し続けた。

ところが3年前から不思議なことに必ず毎日閲覧する人が現われたのだ。読者登録はしていなかった。ただ、毎日の閲覧履歴に最低1が記録されていた。
もちろん同じ人物とは限らない。でも深結稀は、唱子が見てくれていると夢想した。何故なら、「しょうこへ」と必ず呼びかけているのだ。赤の他人がそこまで根気強くつきあってくれるはずがない。
そして、今ではこの夜11時は、深結稀にとって唱子と会話する大切な時間になっている。

深結稀の気がかり

「ほらっ、ちゃっちゃっと動く。ボーッと立ってられるとジャマくさくてかなわんわ。」
また、祥子が、最年長の山田さんに怒られている。みんなは愛情を込めて山田のお母さんと呼んでいるが、祥子にとっては小うるさいおばさんである。
「はい、はい、わかりましたあ。いない方がいいんですね。」と憎まれ口をたたいて、祥子はプイッとどこかへ出ていってしまった。

相変わらずである。深結稀は苦笑した。
「もうっ、店長、なんとかしてくれませんか。ただでさえ忙しいのに、あん子がいると仕事がもう一つ増えますねん。」
「お母さん、そう言わないで。誰でも最初から完璧にはできないですから。私も最初はお母さんには随分怒られましたよ。」
「そんな、店長と一緒にできますかいな。あんさんは、わたしの生徒の中では一番優秀だったやおまへんか。」
「かいかぶりすぎですって。」
「でも、なんやあの子、店長の言うことだけはよう聞きますなあ。躾け方にコツがあったら教えて欲しいわ。」
「そんな犬や猫じゃないんですから。」

それでも、少しずつ良くなってきているとは思う。廻りへの気遣いも覚えてきたようだ。ただ、その表現方法に難有りだが。
しかし、祥子について深結稀には気がかりがあった。
たまに、店にあまり身持ちの良くない高校生のグループがやってくる。男子が2名と女子が1名。平日のこんな時間に時間を潰しているのだから、学校もまともに行っていないに違いない。女子は髪に黄色と緑のメッシュを入れて、派手な付けまつげとマスカラをしている。服装は派手なスタジャンにジーンズ。まるで売れないバンドのヴォーカルという感じで、あまりいけてない。男子にしても推して知るべし。
ただ、男子の方は二人とももの凄く威圧感があって、かなり話しかけるのに勇気がいる。幸いにして、女子の方は人懐こい性格らしく、オーダーは彼女を通して聞くことができた。
ところが、祥子はその女子の方と顔見知りらしいのだ。
女子も、店の祥子の立場を考えてか、大っぴらに親しいところを見せないが、たまに下手くそなアイコンタクトをするものだから、他の人間にも知り合いであると分かる。

ある時、女子が祥子に目配せをすると急に席を立って店の外に出た。見ていると祥子も、そおっと厨房に姿を消し、目立たないように裏口から姿を消した。
深結稀も気になって気づかれないように後に続いた。すると、店の裏の、道から死角になっているところに2人がいた。 深結稀は少し離れたところで、そっと様子をうかがうと、2人の会話が聞こえてくる。

「この間、もう最後って言ったよね。どういうことなの。」
祥子が女子からたかられているのだろうかと案じたが、どうやら様子がちがうようだ。
「ごめん、そんな怒らないで!親友でしょ。」
平謝りしているのは女子の方だ。
「別にお金を貸すのはいいわよ。でも、あんた、完全にたかられてんじゃん。」
「そんなんじゃないって。あたしさあ、ヒロトに惚れてんじゃん。だから、少しでもいいとこ見せたいのよ。」
「そんな、お金をチラつかせなきゃ、なびかない男なんか相手にしたらダメだよ。」
「そんなこと言わないで。同い年で社会人の友達なんて、あんただけだからさあ。ねえお願い。もうこれで最後にするから。」
「お金を渡しているうちはいいわよ。でも、あんた自身無茶苦茶にされても知らないから。」
「ヒロトは、ああ見えて結構優しいんだよ。ちゃんと、あたしのことを考えてくれるんだ。」

もう何を言っても無駄と思ったか、祥子は財布を取り出してしぶしぶ3万円を渡した。お金を受け取ると女子は祥子を拝むマネをして店の中に入っていった。
どうやら祥子自身が悪い友達と関わっている訳ではなさそうだ。まるで、どうしようもなく身持ちの悪い妹を叱る姉のようだった。深結稀は、ひとまず安堵の胸をなでおろした。
しかし、何がどう間違って危ないことに巻き込まれるかも知れない。
祥子の気持ちと、母親の律子の気持ちを思って深結稀は悩んだ。
いらぬ干渉をして祥子を傷つけるかも知れない。また律子を心配させるかも知れない。だからと言って、黙っていて良いものか・・・。

波乱

憎まれ口をたたいた祥子はプイッとどこかへ出ていってしまった。
ところが、入れ替わるように店の玄関に仁王立ちになったのは、例の女子の男友達2人だった。
「おいっ、ここに、亜麻野祥子っていうヤツいるだろう。呼んでくれや。」
高校生とは、思えないドスの効いた声でそう言った。

何が起こったのかと、一瞬店がざわついた。
深結稀は他のスタッフを制して、対応するために玄関に向かった。幸いにして、今、祥子はいない。「いない」と言って今日のところは帰ってもらおう。
「申し訳ありません。今日、亜麻野は出勤しておりません。日を改めて起こしください。」
「そうか、ならしゃあないな。そのかわりに亜麻野の住所を教えてもらおうか。」
「当店では、スタッフの個人情報はお教えできないことになっております。」

「じゃかあしい!ボケ!!」

バーンと、店のドアを蹴飛ばして、男子の一人が 深結稀の胸ぐらを掴んできた。
「勘違いするなや、わしはたのんどるんやない!怪我したくなかったら、素直に亜麻野の居場所教えいいうとんじゃ!」
さすがに、深結稀も肝が縮んだ。だが、ここはあくまでも毅然とした対応をせねば。
「ここは他のお客様もおられることですし、外でお話をうかがいます。」

ところが、そこに折悪しく、さっきプイッと出て行った祥子が帰ってきた。
「あっ、ヒロくん、あいつ・・・。」
それをもう一人の男子が目ざとく見つける。
やがて、2人に気づいた祥子は青ざめ、そして瞬間的にもと来た方向に逃げ出した。
「あいつ、にげるで!!」
「逃がすな!コラ!!待たんかい!」
逃げる祥子を2人の男子が追いかけた。

「ねえ、お母さん、あとをお願い!あと警察に連絡して。」
深結稀は、店の奥に向かって、そう短く指示をした。
そして、彼女も彼らの後を追いかけて走り始めた。

(しょうこへ #2に続く)

25.隠れ家 #2【約束の場所】

f:id:FairWinder:20160305011202j:plain
注意:この作品はフィクションです。実在の人物、団体とは一切関係ありません。

異世界人

島崎は、目の前に聳え立った巨大な影の前に立ちすくんでしまった。
島崎の脳裏には、悲惨な現場に遭遇した後、幻覚や幻聴に悩まされ、ついには現場を去っていた同僚のことが思い起こされていた。
(ちっ・・・ついに、俺も年貢の納め時ってヤツか・・・)
だんだんと強くなっていく、その形容しようのない不気味さは、だが、ポンッと異空間に投げ出されるような別の感覚へと転じた。
目の前のビルも、周りの雑踏も掻き消え、聳えたった巨大な影は、いつの間にか島崎と同じ背丈の対象と化していた。ただ、一生懸命眼を凝らすのだが、人らしき影を認めても、それが一体何であるかについては、ハッキリと知ることはできなかった。
そして、島崎は自分の舌をひどく重く感じ、やっと「お、おい・・・」とだけ、声を発した。
それに対して目の前の対象は、涼やかな声で返答を返した。
状況の異様さとは対称に、心の底に沁み通る穏やかな響きであった。
「シマザキ・コノヨウナ・カタチデ・コンタクトヲ・トッタコトデ・オドロカセテ・シマッタカモシレマセン」
「ワタシハ・アナタノココロニ・チョクセツ・ビジョンヲ・オクッテイマス」
「アナタノ・ホントウノ・カラダハ・アンゼンナバショニ・イドウシマシタ
 ダカラ・アンシンシテ・クダサイ」
「おいっ、本当の身体とはどういうことだ。それにここはどこだ。」
金縛りが解けたように急に島崎は喋り始めた。
「お前は現実なのか、それとも俺の頭が狂っちまったのか。」
「ココハ・アナタノ・スインデイル・セカイデハナイノデス
 ダカラ・ゲンジツデモアリ・ゲンジツデモナイ」
「待てよ。禅問答はもう沢山だ。それより、俺に何の用だ。」
「ソレハ・サオリトシュウイチガ・シマザキ・アナタヲ・シメイシタカラデス」
「サオリトシュウイチ?まさか、吉良沙織里と仁美秀一のことを言っているのか?
 まさか、お前たちが2人を拉致しているのか?」
「アナタガタガイウ・ラチトハ・チガイマス
 ムシロ・カレラノホウカラ・タスケヲ・モトメテ・キタノデス」
その時、影は見る間に数を増していった。一体から二体、三体から四体、四体から五体・・・そして、視界一杯に影が広がっていった。どの影も、目と口と思しきところに光が明滅していた。
「おっ、お前達は一体何だ!」
「アナタガ・ソウゾウデキルヨウナ・ソンザイデハ・アリマセン」
「おい、ばけもの!答えろ!なぜ俺なんだ?」
「サオリトシュウイチガ・ワタシタチノトコロヘ・キテカラ・ズット・ジブンタチガ・モトイタセカイヲ・ミテイマシタ
 ソシテ・タダヒトリ・シンヨウデキル・オトナガ・アナタダッタ・ノデス」
「そりゃ、どうも、とでも言うべきか?」
「アナタガタハ・キガツイテ・イマシタカ
 コノトコロ・ユクエシレズニ・ナッテイルニンゲンガ・フエテイルコトヲ」
「ああ、知ってるさ。子供だけでも、この一年で、もう100人以上行方不明になっている。」
「セカイデハ・ソノナンビャクバイモ・ユクエガ・ワカラナクナッテイマス
 コドモダケデハナク・ワカモノモ・ロウジンモ・ユクエシレズナノデス」
「まさか・・・みんなお前達の仕業ってことなのか。」
「ミンナデハ・アリマセン
 シカシ・カナリノ・ワリアイヲ・シメテイルノハ・ヒテイシマセン」
「何のためだ!まさか、取って食おうとでもいうのか。」
「ワタシタチハ・カレラニ・カクレガヲ・テイキョウシテイル・ノデス
 カレラノ・ココロノ・サケビガ・ゲンカイヲ・コエタトキニ・ワタシタチハ・カレラノモトニ・デムキ・ワタシタチノ・セカイニ・ムカエイレマス」
「ナゼナラバ・カレラヲ・ソノママ・ホオッテオクト・カナリノカクリツデ・ミズカラノ・イノチヲ・タツカラデス」
「放っておくと自殺をするから、その前にお前達が保護していると言うことか?」
「アナタタチノ・ブンメイハ・フタツノ・オオキナモノガ・ケツラク・シテイマス
 ソレハ・シヌ・トイウコトヘノ・ホントウノ・オソレデス
 モウヒトツハ・イキルノガ・クルシクテ・タマラナイトキ・シヌコト・イガイニ・センタクシガ・ヨウイサレテ・イナイコトデス」
「イキモノニトッテ・シヌコトイジョウノ・クルシミハ・ナイハズデス
 モシ・ジサツシヨウト・オモッテモ・ソノクルシミガ・ワカッテイタラ・ダレモ・シノウト・オモイマセン
 カレラハ・ホントウハ・タダ・イマイキテイル・クルシイセカイカラ・スコシ・ハナレラレサエスレバヨイノデス」
「スコシノ・アイダ・ミヲカクス・カクレガガ・アレバ・ヨイノデス」
「だが、後に残されたもの達はどうなる。肉親が急に消えちまうんだぞ。」
「シカシ・ソノヒトタチハ・カレラヲ・マモレナイ」
「タダ・ワタシタチノ・カクレガモ・コレイジョウ・カレラヲ・ムカエイレルコトガ・デキナクナッテイマス
 デスカラ・タビダチノ・トキガ・チカヅイテ・イルノデス
 ワタシタチノ・フルサトハ・トテツモナク・ヒロイセカイ・デス
 タダ・ヒトガマバラナ・コドクナ・セカイデス
 ソコヘ・ミンナデ・ムカイマス」
「お前達、本当はどこかの星から飛んできた異星人か何かだろう。それで、自分達の星に100万光年を飛んで帰ろうと言うわけか。
 あるいは、異次元の隙間へ、この世界の人間をひきずりこもうとでも言うのか?
 どっちでもいいが、その前に捕まえている人間を解放しろ。」
「ワタシタチハ・アナタノ・ソウゾウノ・オヨバナイ・ソンザイデス
 ソレニ・カレラハ・ジブンデ・エランデ・ワタシタチト・コウドウヲ・トモニ・シヨウトシテイルノデス
 タダ、ナカニハ・モトノ・セカイヘ・モドルコトヲ・センタクスル・モノモイマス
 サオリトシュウイチモ・モウイチド・カゾクト・アッテ・ワタシタチト・イッショニクルカ・モドルカヲ・キメタガッテ・イマス」
「デスカラ・アナタニ・カレラノ・リョウシンヘノ・レンラクヲ・タノミタイノデス
 マチアワセノ・バショハ・マチハズレノ・コウジョウアトノ・アキチ
 ジカンハ・アシタノ・ヨル・レイジ・イマカラ・ニジュウクジカンゴ・デス
 ソコニ・フタリノ・カゾクヲ・ツレテキテ・クダサイ」
「馬鹿野郎!何を勝手に話を進めてやがる!
 ちったあ、人の都合というもんを考えろ!
だいたい、上にはどう報告するんだ!
それに、こんな馬鹿な話を、やつらの家族が信用すると思うのか?」
「コノ・ジカンヲ・スギルト・ワタシタチハ・ハルカ・トオイトコロニ・タビダタネバ・ナリマセン
 カレラノ・キボウヲ・カナエルタメニ・ドウシテモ・アナタノ・チカラガ・ヒツヨウナノデス
 キョウリョクヲ・オネガイシマス」
「おい、なら、沙織里と秀一に会わせろ。それなら信用してやる。」
「ワカリマシタ。ウシロヲ・フリカエッテ・クダサイ」
島崎が後ろを振り返ると、そこに、沙織里と秀一が立っていた。
「本当に、お前達なのか?」
しかし、島崎に問いかけに彼らは答えなかった。
ただ、島崎が触れてみると、彼らはそこに存在していた。体温も感じられた。
「お前達、明日、家族に会いたいのか?」
それに対して、秀一はコクリと頷き、沙織里は島崎を見上げて目で訴えた。
島崎は、しばらく考え込んでいたが、
「だがよう、こんなおかしな話。おれ自身信じられねえ。
 ここから出たら、全て夢だった、と思わんとも限らんぜ。」
「ソレハ・シンパイシナクテモ・ダイジョウブ・デス
 アナタガ・ワタシタチト・アッタコトノ・アカシヲ・ノコシマショウ
 ソレハ・フタリノ・カゾクニ・ココデアッタコトヲ・セツメイスルノニ・キット・タスケニナリマス」
そういい終わると、影は、低くうなりを上げ始めた。そのうなりは、隣からまた隣の影へと伝播し、島崎は思わず耳を塞いだ。
そのとき、周りを囲っていた世界が破れて、また夜の闇が戻ってきた。

刻印

「島さん、コーヒーです。」
島崎は、太田が入れたコーヒーを一口すすって、苦そうに顔をしかめた。
「相変わらず、お前のコーヒーは苦えなあ。」
「島さん、しっかりしてくださいよ。どうして、あんな路地裏で眠り込んでいたんですか。」
島崎は、署からそう遠くない路地裏に身を横たえ、すっかり眠り込んでいるところを、警ら中の警官に発見された。そして、警官に起こされ、たまたま署にいた太田に引き渡されたのだった。
「いやあ、このところの疲れがでたんだろうぜ。まったく、みっともねえ。だがよう、おかしな夢を見たんだ。
 なんか、異次元のようなところに連れ込まれて、吉良沙織里と仁美秀一に会ったんだ。」
「へえ、島さんにもそんなファンタジーな一面があるとは驚きですね。」
「からかうない。」と言って、島崎は自分の手のひらに刻まれた刻印に眼を止めた。
「あれ、なんだ、このマークみたいなもんは?」
「えっ、僕にもちょっと見せてください。へえ。変ってますね。」
と、太田が刻印に触れた瞬間、刻印から強い光が出て、手のひらの上に、沙織里と秀一のビジョンが投影された。
「うわっ」そういって、島崎はのけぞり、太田は飛びずさった。
「島さん、これは何ですか。って言うか、科学お宅の僕でも、こんなもの見たことがありません。
 ホログラムが出る刺青なんて、今の技術では無理ですよ。」
「ちょっと待て、思い出して来たぞ。いいか、太田、今から話すことを真面目に聴くんだぞ。」
島崎は、自分が異世界で見聞きしたことを太田に話をした。
聞きながら、太田の顔はどんどん険しくなっていく。
「島さん、どう言ったらよいか・・・。」
「どうせ、俺が気がふれたとでも思っていやがるんだろうが。」
「言いたくはないんですが、そうとでも思わないと、こっちがおかしくなります。」
「待てよ・・・。」
そう呟いて島崎は、試すように手のひらの刻印を押したり、ひっくり返したりし始めた。
「島さん、使い方が分かるんですか?」
「さあな、俺にもハッキリしないが、頭にこうすればこうなるって擦り込まれている気がするんだ。」
そう言って、島崎は指先を下にして手のひらを外に向けた。
すると、手のひらの刻印からビジョンが投影され、等身大の沙織里が現われた。その姿は、沙織里が最後に目撃された服装や髪型と一致していた。
「おい、触ってみな。」
促されて、太田はこわごわと沙織里のビジョンに触れてみた。
すると、その沙織里は実体化していた。質感も、重みも、そして体温すら持っていた。ただ、それは沙織里のコピーだった。
「なあ、これをどう説明する?少なくとも、俺は常識を遥かに超えた化けもんに魅入られちまった、ってことだ。」
「ですが・・・。僕には何もできることはありません・・・。」
「そうよ、そんなこたあ、先刻承知よ。それにな、2人で動いたら目だってしょうがねえ。」
「上には報告しないんですか?」
「馬鹿!そんなことしたらどうなる。良くて精神病院、悪くすりゃ生態標本にされちまわあ。」
「じゃあ、一人で何もかも片をつけるつもりですか?」
「しょうがねえだろうな。それでな、俺は今から一人で動く。だから、周りに不審に思われないように口裏を合わせて欲しいんだ。」
「分かりました。それくらいなら・・・。それで、これからどうするんですか?」
「夜が明けると同時に、沙織里の両親んとこと、秀一の母親んとこに出向いて説得をするつもりだ。」
「あの2人のためにそこまでするんですね。」
「ああ、俺はたった一人信用できる大人だって言いやがったしな。」

吉良夫妻

島崎が吉良夫妻のところに出向いたのは、少し昼を回ったころだった。
朝からずっと連絡を続けて、昼近くなってやっと吉良夫妻との連絡が取れたのだった。
「刑事さん、ずっと電話が取れなくて申し訳ありません。少し家内がまいっておりまして。傍を離れられなかったもので。」
吉良丈輔が玄関先で応対をした。
「いえ、こちらこそ、突然申し訳ありません。」
「今日は、他の捜査員の方はご一緒ではないのですか?」
「実は、私一人で来ました。」
「沙織里のことで情報があったと伺いましたが。」
「はい、娘さんの無事が確認できました。」
「えっ、そうなのですか。今・・・娘はどこにいるんですか?」
「それが、すこし状況が込みいってまして・・・できれば、奥でお話をしたいのですが。」
「あっ、気がつきませんで申し訳ありません。何もお構いできませんが、どうぞお入りください。」

島崎は吉良邸のリビングへと通され、赤いソファーに腰を降ろした。
「いや、奥さん、いつぞやは乱暴なことを言って済みませんでした。」
丈輔の隣で妻の雅子が夫に寄りかかっていた。そして、島崎のその言葉には答えずに、弱々しく笑って、軽く会釈を返した。
鬼母とまで言われた雅子であったが、さすがに罪の意識に責め苛まれているようだった。
「なあ、雅子、刑事さんがな、沙織里は無事だって言うんだ。」
その言葉を聞くと、雅子は息を呑んで大きく眼を見開いた。
そして身を乗り出して「どこですか?いつ会えるんですか?」を何回も繰り返した。
「まあ、お2人とも落ち着いて聞いてください。これはかなり荒唐無稽な話なんです。しかし、この私を信用していただかなくては、娘さんは戻っては来ません。」
「どういうことですか?」妻の雅子をなだめながら、丈輔が応じた。
「うむ・・」低く唸って、島崎は「まず、これを見てください。」と言って、太田に見せたのと同じ沙織里の等身大のビジョンを手のひらの刻印から投影した。
すると、いきなり実体化した沙織里に雅子がしがみついた。
「沙織里、ごめんね、ごめんね」
「刑事さん、こ、これは、沙織里はどこから現われたんですか?」
「お2人とも、申し訳ありません。これは沙織里さんではありません。本物の沙織里さんの実体は全く別なところにいます。そう、コピーなんです。」
「そ、そんな、馬鹿なことがあってたまるか!沙織里はどうしてしまったんですか!」
「まあ、無理ありませんが、もう少し落ち着いてもらえませんか?」
「落ちてけってそんな・・・。」
「なぜ、私が一人で来なければならなかったか?お分かりいただけませんか。私たちの想像を超えたことが起きているのですよ。
 いいですか。こんなことが今の技術で可能だと思いますか?」
「じゃあ、沙織里は宇宙人にでもさらわれたと言うのですか?」
「ある意味そうです。そして、ここからが肝心な話です。彼らが何者かは別にしても、常識が通じない相手と沙織里さんが一緒にいることは間違いないんです。そして、彼らは今夜、沙織里さんを返すと言っている。」
「ああ」と、雅子は小さく叫び声をあげた。
「ですが、あなた方の元に帰るかどうかは、娘さん自身が決めるのだそうです。」
「そんな6歳の子供が何を決めると言うのですか?」
「いいにくいのですがね。彼らは娘さんのことを保護したと言っているのですよ。そのまま放っておいたら自殺したかもしれないともね。つまりです・・・そこまで追い詰めたのは・・・あなた方と言うことになる。」
「ああああああぁぁ」と雅子が叫びを上げて泣き崩れた。
「ちょっと、刑事さん、これ以上家内を追いつめるのはやめてください。」ほとんど悲鳴のように丈輔が声を発した。
島崎は、しばらく言葉を控えて2人を見守っていたが、やがて言葉をついだ。
「どのみち、あなた方が会いに行かなければ、娘さんは二度と戻りません。そうしたら、沙織里さんは彼らと遠くへ行くことになる。」
「行きます、行くに決まっているじゃない。」雅子は打って変わったように気丈に答えた。
「わかりました。場所は、町はずれの工場跡の空き地です。国道を真っ直ぐ南に走っていってください。そして、時間は今夜の0時。 10分前に待ち合わせましょう。」
「警察の協力は得られないのですか?」
「こんな常識はずれな状況に、今の警察は対応できません。ですから、私一人で動くと決めたのです。私を信用してくれと言っても難しいでしょうが、他に選択肢がないのです。」
「刑事さん、わかりました。できる限り協力をしましょう。」

美都子

島崎はイライラしていた。
もう、夜の10時を回っている。なんとか仁美秀一の母、美都子と連絡をついたものの、待ち合わせの時間にもう30分も遅れている。
(くそっ、このままでは、秀一との約束が果たせなくなっちまう・・・。)
と、その時、客の入店を告げる喫茶店のベルがカランカランと音を立てた。
「ごめえん、刑事さん。待ったあ?」
(酒くせえ、酔ってやがるのか?こんな時にいい気なもんだ。)
美都子は、島崎の向かいに腰を降ろすと、短いスカートからのぞいている足をこれみよがしに組んでみせた。
(まったく、女ってやつは。ここ一番での自分の武器ってもんを心得てやがる。ちっとばかし、厄介な相手だな。)
だが、このような場所で、吉良夫妻の前で見せたような手段は使えなかった。
(とにかく、言いくるめて、町外れまで連れ出すしかないようだ。)
「仁美さん、単刀直入に言います。秀一君が見つかりました。」
一瞬、美都子はピクッと眉を動かしたように見えた。
「それで・・・私にどうして欲しいの?」
「保護者はあなたですから、彼を引き取って欲しいのですよ。」
美都子は、バッグからタバコを取り出して、口にくわえると火をつけた。そして、タバコの煙を肺一杯に吸い込んで、プーッと天に向かって吐き出した。
「しょうがないわね。せっかく厄介払いできたと思ったのに。
で、今から警察に行けばいいの?」
「それがですね。すこし事情が込みいってまして。秀一君の方から、場所と時間を指定してきたのです。」
「なによ。それプチ家出ってこと?あたしに世話をかけたくて、ここまで来ないと帰らないぞ、と駄々をこねてるってこと?」
「まあ、少し違いますが、会いに行って貰えませんか?」
「嫌あよ、せっかくお店を抜けてきて、何を言うかと思えば、馬鹿息子を迎えに行けって?
 そんなの、あんたたち警察でしょ。ふざけんな!って、ひっぱたいて家まで連れて来ればいいのよ。」
(やはり、そう来たか。これじゃ、秀一が世を儚むのも無理はねえ。)
「お母さん、実は、秀一君は少しややこしい連中と関わっていまして。なんというんですか、そう人権団体。彼らが秀一君のことを返さないって主張しているんですよ。
それでね、返すなら、お母さんが本当に秀一君のことを大切に思っている証拠を見せて欲しいと言っているんですよ。」
「それで、わざわざ、指定された場所に来いっていうわけ?
そんなの勝手にすれば。あたしは行かないわよ。」
「ひょっとすると、もう2度と会えなくなるかも知れませんよ。」
「だから、いいって言ってるでしょ!」
美都子は腹立たしげにタバコを乱暴に灰皿に押し付けて火を消した。
「ですがねえ、だったらどうして秀一君を手放さなかったんですか?
あなたのような女性には、息子さんは重荷になるはずだ。」
「それは・・・。」
「例えば、昔好きだった男性の面影に似ているから、とかですか?
そこまで無理して産んだんだ。きっとそれなりの理由はあるでしょう。」
「そんなんじゃないわ・・・。」
「愛情ってもんは、厄介なもんです。
だから、そんなに焦って答えをだす必要はない。
でも、秀一君が行っちまったら、それを確かめるチャンスすらなくなるんですぜ。
しかも、これは彼の希望でもあります。我々としてもなんとかその思いに答えてたりたいんです。」
「わかった・・・。」
「えっ?」
「わかったって言ってるの!何度も言わせないでよ。で、いつなの。」
「今日の深夜0時です。もう、あまり時間もない。このまま同行いただけますか?」

約束の場所

「家で着替えてから出掛けたい」という美都子の希望で、一度彼女の家に寄ってから、島崎は一緒に待ち合わせの場所に向かった。
工場の跡地に車をとめると、島崎は時間を見た。午後11時40分。20分前だ。
すでに、吉良夫妻は到着していた。
「ちょっと、なんなのよ。ここは。こんなところに呼び出して、本当にまともな連中なんでしょうねえ?」
「さあ、それは俺にもちょっと。」
「はあ?あんたを信用してここまで来たのよ。変なことになったら警察を訴えてやるから。」
と、その時、美都子はめざとく吉良夫妻を見つけた。
「あっ、あいつら・・・。ちょっと、どういうことよ!」
「実は、さっきは言わなかったが、沙織里さんのご両親もここで娘さんと会うことになっているんですよ。」
「あきれた。そんな子供を連れ去って歩いているような連中のいう事に警察が振り回されているようじゃ、世も末ね。」
「まあ、彼らに言わせれば、子供達を保護してやってるそうなんですがね。
それより、吉良さんとこと問題を起こさないでくださいよ。」
「わかってるわよ。」
島崎は、吉良夫妻と軽く挨拶を交わした。彼らも島崎に会釈で返したが、美都子を認めると、驚いたように眼をそらした。美都子も、わざとらしく、プイと顔を背けた。
(あと10分か。)
美都子はいらだたしそうにタバコに火をつけた。
吉良夫妻は、何が起きるか不安でたまらないといった表情を浮かべていた。
無理もない、島崎も、何が一体どうなるのか、まったく想像がつかないのだ。一歩間違うと、あの化けものどもに全員拉致されて異次元にひきずりこまれるかも知れない。
時計は、あと少しで0時を指そうとしていた。
(くそっ、ここまできたらなるようになれだ!腹を据えてかかるしかねえ!)
背中に冷たいものがしたたり落ちるのを感じながら、島崎は秒針が0を指して、午前0時になるのを見つめていた。

その時、急に空き地の真ん中に光の柱が立った。
光に合わせて空気が下から上へと吸い上げられていく。
巨大な光の渦は夜の闇の中に立ち上がり、砂塵をあたりに撒き散らしていた。
「おいっ、眼をやられるぞ。眼をかばえ!」
島崎はそう叫んだ。
しかし、美都子はくわえたタバコを口の端からとりおとし、眼を見開いて目の前の光景にあっけに取られていた。
吉良夫妻は、お互いをかばってしゃがみこんでいる。
(くそっ、聞いてねえぞ。こんなに派手にやりやがって、後から騒ぎにでもなった日には俺のこれまでの苦労もみんな水の泡だ。)
やがて、渦の回転は止まり、後には光の柱だけが残った。
島崎達は、おずおずと顔を上げて、柱の中を透かして見た。
柱の中には、やはり光の階段がしつらえてある。そして、その階段を登りきったところに明らかに人影が認められた。
「あっ、沙織里い。」雅子が鋭く叫び声をあげた。
その人影は、沙織里と秀一であった。彼らは仲の良い兄弟のように手をつないで立っていた。
そして、沙織里が秀一に対してニッコリと微笑みかけると、秀一もまた笑顔を返した。
沙織里は秀一とつないでいた手を離して、バイバイするように、その手を振った。秀一はすこし寂しそうな顔をしたが、やはりバイバイで返した。
そうして、一段また一段、沙織里は階段を降り始めた。
その様子を、吉良夫妻と美都子は固唾を飲んで見つめていた。
やがて、沙織里は階段を一番下まで降りると、ここまで迎えに来て、というように両手を前に差し出した。
「何をしている。早く迎えに行ってやらねえか。」
島崎に促されて、吉良夫妻は光の柱に向かって、やはり両手を差し出した。すると体が柱に溶けて、2人は中に吸いこまれていった。

その時、放心して見ていた美都子は、急に我に返り、「こら、秀一、何をしているんだい!早く降りてこないか!」と叫んだ。
しかし、秀一はそれに答えず、ニッコリと微笑んで、美都子に向かってバイバイをした。それは、島崎が滅多に出会うことのない穏やかで柔和な笑顔であった。
美都子は、しかし、光の柱に向かって突進をした。しかし、吉良夫妻のように中に入ることはできなかった。柱が彼女を拒絶したのだった。
(そうか、秀一は彼らと一緒に行くと決めたんだな。そして、母親に別れを言うために、ここまで呼んだのか・・・。)
何故か、島崎には秀一の心が分かる気がした。
しかし、美都子は諦めきれないように、柱に何度も頭を打ちつけ、血をにじませながら叫んでいた。
「この恩知らず!母さんを置いていくのか。」
「お願い!戻ってきてよお。母さんを一人にしないでちょうだい。」
この瞬間まで、美都子自身気がつかなかったかも知れない、深い息子に対する愛情が堰を切ってあふれていた。
だが、不憫だが、秀一は決して戻ることはないだろう。
そして、ふいに光の柱はまた渦を巻き始めた。
島崎は、必死で美都子をその渦から引き離した。
そして、ますます光は強さを増し、とても見てはいられなくなった時、不意にその光は彼方に飛び去った。
その光の柱のあった中心には、堅く抱き合った沙織里と両親が残されていた。

(行っちまったか・・・。さて、この後始末どうするかな。)
急に行方不明の沙織里が現われたのだ。その辻褄をどうあわせるか、島崎は気が重かった。
それより、美都子のことだ。
美都子は、さっきっから「ううぅ」と突っ伏したままで泣いてる。
さて、今はおとなしくしているが、このままでは済むまい。
まず、今夜はとことこんまで、夜泣き酒に付き合ってやらねばならないようだ。
その上で、よく噛んで含めるしかないだろう。
(だが・・・)と島崎は思う。
美都子もこれで秀一から自由になったのだ。まだ、40だ。これから自分の人生を生きれば良いと。

気がつくと、沙織里の父親の丈輔は立ち上がってこちらを見ていた。
雅子は、沙織里を抱きしめて嗚咽を漏らしている。
「刑事さん・・・」丈輔の声に、島崎は「ああ」とだけ答えた。
そして、力を込めてこう言った。
「いいか、その手をもう2度と離すんじゃねえぞ」

(おわり)

24.隠れ家 #1【事件】

f:id:FairWinder:20160305010819j:plain
注意:この作品はフィクションです。実在の人物、団体とは一切関係ありません。

あらすじ・・・

この話は、幼い少女の失踪事件から始まります。警察は、異例の捜査体制をひいて早期解決をめざしますが、少女の行方はようとして知れません。その中、専従捜査を命じられた老刑事島崎と若手の太田は、少女と、事件との関連を疑われる青年の周辺を洗います。そして、そこから浮かび上がって来たのは、事件まで彼らがおかれていた痛ましい家庭環境でした。

この作品は・・・

子どもの連れさり、そして暴行、殺害事件。自分で満足に判断できない相手を、大人の暴力に巻き込んだ許されない犯罪。
しかし、その背景を追っていくと被害者の置かれていた悲しい環境が浮かび上がってきます。子どもは親を選べない、ただ忍従するしかない。その中、自殺を選ぶ子どももいる。でも、本当は死にたいなどとは思っていないのです。ただ、ほんの少し厳しい現実から身を隠せる場所さえあれば。
そんな2つの思いが混ざり合って形になりました。

事件

閑静な住宅街の片隅で少女が消えた。
少女が消息を絶って一週間、両親の希望により警察は公開捜査に踏み切った。
その日、島崎は少女の捜査本部に招集された。
「異例のことだ。」
島崎は捜査本部に招集された捜査員の人数の多さに驚いていた。
管内から50名は投入されているだろう。行方不明者一人の捜査にしては、おおがかり過ぎる。
本部長には、県警の長田警視正が任命されていた。
そして、多くの捜査員を前に、長田は事件の概要を説明し始めた。
「事件の概要を、私県警の長田から説明いたします。
行方不明者は、吉良沙織里さん、6歳。小学一年生です。」
「沙織里さんは、午後5時に友達の家を出て、その2時間後に家の近くの公園に一人でいるところを目撃されています。ところが、その後行方不明となり、この間専従捜査員を投入して捜索を行ってきましたが、今のところ足取りは全くつかめておりません。」
「現在までの進展は以上ですが、捜査本部としては、事件と事故の両面を視野に入れて捜査を行っています。
 事故の線では、地元の消防の協力を仰ぎ、最後に目撃された公園の近辺をくまなく捜索しております。
 また、事件の線では、連れ去りの可能性を考慮して、周辺県の県警にも協力を要請し、捜索範囲を拡大しております。
 今回、公開捜査に踏み切ったことにより、マスコミにも協力を要請し、沙織里さんの目撃情報や、不審者情報の提供をテレビや新聞で呼びかけます。」
おりしも最前列から質問の声が上がった。
「本部長、少しよろしいですか。
 現在のところ、連れ去り当日の不審者の目撃情報はあがっておらんのですか?」
「実はそのことについて、近所の男性がこの一週間行方知れずになっているという情報があります。
 名前は、仁美秀一、22歳、無職。
 母親と2人暮らしです。
 我々は、この男性と沙織里さんの失踪の関連も視野に入れております。
 現在、この男性の捜索願いは出されておりませんが、母親がなんらかの情報を持っているのではないかと見ております。」
「ついては、捜査本部を3班に分けます。
 第一班は、他県の県警と協力して県外の目撃情報を収集します。
 第二班は、消防と一緒に周辺の捜索に当ります。
 第三班は、沙織里さんと仁美氏の周辺の聞き込みをお願いします。
その陣頭指揮は、北居警部、乙川警部、本村警部補がそれぞれ当ります。」

老刑事

島崎が配属されたのは、本村警部補の第三班だった。
そして、聞き込みから署に戻った彼は、自分にあてがわれたパソコンの前で毒づいていた。
「こらっ、ちゃんと動きやがれ、このポンコツが。」
思わず、拳を振り上げかかった島崎を、後輩の太田が止めに入った。
「ちょっと、島さん。ブラウン管時代のテレビじゃないんですから、叩いても動きませんよ。
 ほら、こうやって、マウスでここをクリックするんです。ちゃんとやればできるじゃありませんか。」
「ちぇっ、この年になってこんなおもちゃをいじくることになるとはね。」
「いつの時代の人ですか。いい加減慣れてくださいよ。」
若手になだめられて、島崎はバツが悪そうな顔をした。

「どうですか。島さん。そっちは何か進展ありました?」
「うん、なんとも言えんな。仁美秀一の母親は知らぬ、存ぜぬ、私は関係ないの一点張りでな。」
「どんな女なんですか。」
「それがな、事前に資料に眼を通してはいたが、実際あってみて驚いたぜ。これが結構いい女なんだ。年もまだ40だぜ。」
「へえ、じゃあ。秀一は18歳のときの子供ってことですか。」
「そういうことになるな。父親は当時つきあっていた大学生らしい。無理して子供を生んだはいいが、相手の男はすっかり怖気づいて逃げ出したそうだ。もちろん籍も入れていなかったから、ずっとそれから母一人子一人よ。」
「そんな、たかだか18で、しかも子供も抱えてどうやって生きてきたんですか。」
「まあ。最初は親のところに転がり込んだらしいんだがね。でも、もともとあまり仲のいい親子じゃなかったらしくて、ついには大喧嘩して子供ともども親元をおん出たそうだ。
 そのころは、秀一も2歳になっていたしな。知り合いや託児所に預けて、夜の商売で食いつないでいたんだ。見た目はいい女だしな、いい客もついてどこでも売れっ子だったらしい。
 ただ、顔はきれいでも性格に難があってな、人の客を取ったとか取らないとかで、すぐ他の女ともめて何回も店を変わったそうだ。店をおん出ては馴染みの男をくわえ込んだり、また縁が切れると他の店に行ったりで、まあ、いわゆる毒婦ってやつだ。」
「よくある話ですが、よく秀一を手放しませんでしたね。施設に預けるなりして、身軽になった方が、水商売では何かと都合が良かったんではないですか。」
「うん、それは俺も腑に落ちないところなんだがな。ただ、秀一をそこまで溺愛していたわけでもないようでな。託児所に何日も連絡せずにほったらかしにしたり、かと思うと何日も学校を休ませてずっとベタベタしていたり、で。要はつかず離れずと言えば聞こえは いいが、親の気が向いた時だけ餌をもらえる愛玩動物のようなもんだ。」

「そうまでして生んでおきながらひどい話ですね。」
「ああ、そんなことをして秀一がおかしくならないはずがないさ。中学まではそれでも普通に学校に通っていたらしいが、中学卒業間近の時に急に不登校になってな。それから、学校には一度も通っていないらしい。しかもだぜ、中学を卒業したら有名な進学校に進む予定だったそうだ。」
「へえ、意外に母親は教育熱心だったんですね。」
「自分は好き勝手している割りに勉強には厳しかったんだな。なんていうか、子供に身勝手な夢を押し付けている母親ってわけさ。」
「それで、あとはお決まりのひきこもりってパターンですか。」
「母親は、秀一のことをお荷物とか、化けもんとか言ってたぜ。せっかく、生んで育ててやったのに私に寄生しやがって、ってな。同じ家に暮らしていてもろくに口も聞かなかったから、しばらくは秀一がいなくなっていても知らなかったそうだ。それが、しばらくたっても生活費を寄こせって言いにこないから、おかしいとは思っていたんだが、それはそれで、むしろ厄介払いができて丁度いいって考えていたっていうんだから、ひどい母親もあったもんだろ。」
「でも、秀一が引きこもりだっていうだけでは事件と結びつけるのは無理がありませんかね。」
「ああ、ただ失踪した時期が悪い。秀一が最後に目撃された日が丁度、子供が行方不明になった日と同じなんだ。それにな、秀一は唯一子供達には心を許していたようでな。たまに、公園で小学生たちと一緒に遊んでいるところを近所の住民が見ている。だが、近所の引きこもりの男が小学生と遊んでいる姿はどう見ても不自然だ。それで、気味悪がる親もいたらしい。」
「なるほど、でも、島さんはどう考えているんですか?」
「俺か。そうだな、秀一が子供を連れ去ったというのは話の通りは良いんだが、俺には無理があるように思える。第一に、免許も車も持っていない秀一が、目立たずに子供を県外まで連れ出すのは無理だろう。この近辺に潜んでいるにしても、金も持たず、家以外に行き場所もない秀一に隠れる場所はないはずだ。」
「いよいよもって困りましたね。」
「それで、お前の方はどうなんだ。」

「僕は、もうこの事件に一週間以上張り付いていますからね。でも、ダメです。全く手詰まりです。」
「それでもなんかでないのか?」
「沙織里さんの周辺をずっと聞き込んでいましたが、彼女は昔で言うところのカギっこなんですよ。両親が共働きで、しかも父親は大手企業の研究員、母親はフランチャイズチェーン始めての女性管理職とかで、夜の9時前に家に帰ることはまずないそうです。その間、沙織里さんはずっと自宅で一人で過ごしているんです。」
「食事とかどうしていたんだ?」
「最近は便利な宅配サービスとかありますからね。夜の6時になると、業者が決まって夕食の弁当を届けに来るんですよ。それで、その業者に聞いたところ、6時に届けに行っても誰も自宅にいないことがよくあったそうなんです。」
「つまり、その頃まで、小学一年の子供が外を出歩いているってことか?その弁当の業者も親に注意とかしなかったのか?」
「実は、その業者は弁当を届けるとともに、宅配先の安否確認をするという契約になっているんですよ。ところが、弁当を1個届けても100円くらいにしかならないらしくて、そこまで正直にやっているととても食べてはいけないので安否確認は有名無実化しているそうです。
 それに、どこまで家族のことに踏み込んで良いかが難しいらしくて、たとえおかしいなと気づいても殆ど注意とか報告とかないらしいです。」
「それにしても、幼い子供を家に一人で置いておける親ってのは俺にはとても理解できねえな。」
「沙織里さんも一人ぼっちは心細かったと思いますよ。それで、学校から帰ったら、すぐに友達の家に遊びにいっていたそうです。でも、なかなか家に帰りたがらないので、親たちの間でも有名だったんですよ。事情がわかっている親は、不憫に思って7時や8時まで居させることもあったそうですが、その時間にまさか一人で帰すわけにもいかず、家まで送り届けるのが結構負担になっていたそうです。」
「子供心にも迷惑になっているかくらいは分別できていたろうになあ。」
「その日も、友達の家に遊びに行ったんですけど、友達の家では夕方から出掛ける用事があって、あまり長くいられると困るからって、理由をつけて早く帰ってもらったんです。
その後、沙織里さんは、最後に目撃された公園に行き、そこにいた友達と遊んでいたのですが、友達が全員帰っても一人残って遊んでいたそうです。
そして、夕方7時を最後に彼女は消息を絶っています。」
「そうか。まったく嫌な事件だな。」
「大丈夫です、必ず見つかりますよ。いや、見つけましょうよ。」
「ああ、そうだよな。」
「ところで、島さんはこれからどうするんですか。」
「明日な、もう一度、秀一の周りをさらえてみたいんだ。まず、近所の聞き込みをして、その後秀一の母親に会いにいくつもりだ。」

扇動

翌日、仁美秀一の周辺を聞きこみしている島崎の携帯に太田から連絡があった。
「島さん、今どこですか。」
「ああ、昨日言ったとおり、仁美秀一の近辺を聞きまわっているところだ。」
「良かった。ちょっと、仁美秀一の家まで来てもらえないですか。」
「なんか、あったのか。」
「それが、秀一の母親のところへ、沙織里さんの両親が来ているんですよ。」
「ああん、何が起こっているんだ。秀一のことはマスコミにも知らせていなかっただろう。」
「ですけど。我々とは別にこの辺を聞き込んだ人間がいるらしいんです。
それで、秀一のことを突き止めたようで。」
「くそっ、うかつだったぜ。で、そいつが両親にリークしやがったってわけか。」
「それだけじゃなくて、ネットには秀一を犯人扱いした書き込みまでしてあって、犯人の母親と被害者の両親が直接対決するっていうんで、野次馬が集まってきているんですよ。」
「やつらあおってやがるな。面白おかしくするためにそこまでするのか。」
「今、応援を要請していますが、時間がかかるらしいんです。僕だけでは手が足りません。すぐに来てください。」
「わかった。待ってろ。」

島崎が現地に駆けつけたとき、仁美秀一の母親が入居しているアパートの前には大勢の野次馬が集まっていた。そして、その輪の中心に秀一の母親の仁美美都子と、沙織里の父親の吉良丈輔と母親の雅子が睨み合っていた。
「あっ、島崎さん、仁美さんと吉良さんたちをお願いします。」
そう声をかけてきた太田は野次馬の対応で精一杯で、他のことに手が回らないようだ。
男である吉良丈輔は気を飲まれて、心なしかオロオロしているように見えた。
むしろ、頭に血が上っているのは、女性の仁美美都子と吉良雅子の方であった。
(まるで、毛を逆立てたメス猫のケンカだな)
頭の端で島崎は目の前の光景をそのように感じていた。
おそらく人目があったので、沙織里の両親も最初は決め付けるような言い方は避けていたに違いない。しかし、言葉を交わすうち、女同士がヒートアップして、男のほうが置いてけぼりをくった図に見える。
「だから、何なのよ。うちの子が犯人だっていう証拠があるなら出してみなさいよ!」
「誰もそんなこと言ってないでしょ。何か知っていることがあれば教えて欲しいって言ってるだけじゃない。」
「どうして、私がそんなこと知らなきゃならないのよ。どこか他を当りなさいよ。」
「ねえ、ちょっと、あなた。本当は自分の子供がどんなことをしているか全く知らなかったんじゃないの。聞いたわよ。あなたの息子、引きこもりだったんですって。しかも、それを、ずっとほったらかしにして。どこで何をしていても、知らぬ存ぜぬなわけ。ふざけんるんじゃないわよ。」
「そんな22にもなった息子のすることなんか一々責任持てるわけないでしょ。なんだったら、私に何の罪が有るか言ってみなさいよ。」
「ほうら、やっぱり認めてるんじゃない。自分の息子は犯罪者ですって。」
「誰もそんなこと言っていないわ。それに、あんたたちこそなによ。ネグレクトだって言うじゃない。いつもはほったらかしにして、ちょっと行方不明になって外聞が悪くなった途端大騒ぎして。そうね、きっとあんた達に絶望して、どこかで自殺でもしてるんじゃない。」
「言っていいことと悪いことがあるわ。このアバズレめ。」
「あんたこと鬼母じゃない。」
聴くに耐えない応酬が繰り返され、2人が二匹の夜叉の如く掴みかかろうとした時、そこへ島崎が割って入った。
「いい加減にしろ。あんたらの子供が行方不明になっているんだぞ。子供達に申し訳ないと思わんのか。」
島崎が放った怒気に一瞬2人がひるんだ。
そして、島崎は野次馬の方に向くと、
「いいか、よく聞け。裏でちょろちょろ動いて面白がっている糞虫ども。もし、こんなことで死人でも出たら俺は決して貴様らをただじゃおかねえ。一人残らず探し出して八つ裂きにしてやるから覚悟しておけ。
 それから、てめえらも、てめえらだ!糞虫どもに踊らされてるんじゃねえ。恥を知れ、さっさと散りやがれ。」
その時、一瞬野次馬の輪が後ずさった。
島崎は、2人の母親に向き直ると、
「いいか、これは子供達のことじゃねえ。あんたらの起こした事件なんだ。それを人様の所為にしてる暇があったら、少しは捜査に協力しろ。
 あんたも父親だろ、こういうときにあんたがしっかりしなくてどうすんだ。」
父親の吉良丈輔は、島崎に促されて、雅子の肩を抱いて現場を後にしていった。

巨大な影

「島崎さん、現場を収めてくれたのはいいが、少しは考えてくれませんか。」
その後、島崎は、苦虫を噛み潰した様な警部補の本村の前で、さらにもっと苦虫を噛み潰した顔をしていた。
「島崎さん、あなたはこの道で30年近く飯を食っているベテランだ。その経歴には敬意を払っても、ちょっと物言いが過ぎやしませんか。一般市民に向かって『糞虫』だなんて。マスコミに書かれでもしたら大事でしたよ。幸い非常時だということで、この手の報道は自重して貰っていますが、ネットでの拡散までは抑え切れませんよ。」
「いや、警部補、俺は野次馬どもに言ったわけじゃありません。あそこであおっていた奴らに言ったんです。」
「にしてもです。『八つ裂きにする』などと言うのは公僕にあるまじき発言です。始末書の提出をしてください。」
「へい、申し訳ありませんでしたあ。」
島崎は仏頂面で答えた。

「やれやれ、どいつもこいつも現場ってもんを分かってやがらねえ。」
署を出た島崎は気分悪そうに毒づいた。
「子供が行方不明になっているんだ。だから、捜査本部に人間を投入して早く解決しようとしているんじゃねえのか?
それとも、マスコミ対策のパフォーマンスだとでも言うのか。」
外はすっかり暮れていた。角を回るといつも見慣れた高層ビルの赤いライトが眼に飛び込んでくる。
ただ、島崎が、今日その光景を眼にした途端にギョッとした。
何故かはわからない。
しかし、背の高いビルのシルエットから、遥か上空に向かって影が伸びているように見えて仕方がないのだ。人の形にも見える。
(馬鹿な、何かの見間違いだろ。)
島崎は自嘲したが、よく見ると影の頭と思しきところに、薄い光が集まっており、眼や口のように見えなくもない。
そう思うとますますそう見えてくる。
(俺だけだよな・・・。)
周りがそれに気づいている様子は全くない。
(やれやれ、心を病んじまったのか・・・。)
薄ら寒い思いを感じながら、眼を凝らして見ると、心なしか自分に語りかけているようにも思える。
「シ・マ・ザ・キ・・・」
そんな声が耳の底で聞こえた気がした。
(今度は幻聴かよ。)
「シ・マ・ザ・キ・・・」
いや幻聴じゃではない、何かが語りかけてきている。
島崎は、目の前に聳え立った巨大な影の前に立ちすくんでしまった。

(隠れ家#2に続く)

23.彼方からの伝言 #5【再会】

f:id:FairWinder:20160305005519j:plain
注意:この作品はフィクションです。実在の人物、団体とは一切関係ありません。

ステーション

「既視未来?」
初めて聞く言葉だったのだろう。
弟は、その単語を噛むように繰り返した。
「はい。タイムトラベルすることは、私たちにとって未来の出来事です。そして、過去に戻られたお客様がどんな行動をされるかも予測できません。ですから、過去へどんな干渉が行われるかは、全くの未知です。
しかし、私たちの中には、その未知の過去が、今時点で既に経験済みの出来事として記憶されています。つまり、これから起きる未来の出来事を、過去の出来事として体験済みなので、既視未来と言います。」
さすがに、これにはついていけず、私は音をあげた。
「はあ、よく分かりませんが、過去に戻ることが可能で、しかも全く危険も問題もないと言うことでしょ。」
「失礼しました。つい不親切な説明をしました。」
その真島さんの詫びに対して、弟は笑顔で「いいえ、とても勉強になりました。」と返答を返した。

「では、これから過去に戻るための手順についてご説明します。」
少し真顔になって真島さんは説明を始めた。
「まず、戻る年月日時を確定します。中には、正確に、タイムトラベルを行う日時までお教えくださるお客様もおられますが、実はあまりお勧めしておりません。」
「と、言いますと。」
これから先は、弟に変わって、実際にタイムトラベルを行う私がやり取りする番だ。
「はい、タイムトラベルと言っても、過去に止まれる時間は5分ほどです。その間だけ、お客様のビジョンを通じて過去に干渉することができます。ところが、何十年も前になるとお客様の記憶違いも結構多いのです。何時間、いや何分と言う単位でズレているだけで、お客様が希望される、まさにその瞬間へのタイムトラベルは叶いません。」
「確かに、おぼろに18年前の夏の夕方としか覚えていませんが、大丈夫でしょうか。」
「はい、それでお客様にご利用いただくのが、メモリアル・スキャナーと言う装置です。
これで、お客様の脳内の記憶にアクセスして、その時に会話された言葉や、強く心に残った印象をテキストとして抽出します。そして、お客様から伺った情報とマッチングさせて、まさにその時を割り出します。
何か、その時の手がかりになる言葉はありますか?」
真島さんの質問に対して、私は「光るお母さん」と「いつかお母さんのことを許してね」と言う二つの単語を伝えた。
真島さんは、満足そうに二つの単語をメモすると、そのまま説明を続け、最後に私たちの意思を確認した。
「以上が、私どもがご提供するサービスの内容です。ご納得いただけましたでしょうか。」
「はい。よく分かりました。」
私は頷きながら返答した。
「では、このまま契約を進めさせていただいてもよろしいですか?」
真島さんの確認に、私は弟と視線を交わし、お互い異存がないことを確かめた。
「はい、よろしくお願いします。」
「分かりました。では、手続きについてご説明します。まず、こちらがタイムトラベルにかかる費用です。」
そう言って真島さんは、パンフレットを私の目の前に広げ、価格に関する箇所を指し示した。
その金額は税込みで53万円、真島さんの説明によれば実際のタイムトラベルの時間は5分程度だから、大雑把に言えば1分間10万円。
分あたりで言えば、今流行りの宇宙旅行も顔負けの金額だ。
「何分、タイムトラベルの時間は5分ほどですし、それに対して発生する料金は正直割高に思われても当然です。
また、タイムトラベルという、少し前までは実現性が疑われた技術によるサービスですので、後で行き違いのないよう、ご利用前に意思確認をいただくことになっています。」
「分かりました。」
私は、まっすぐ真島さんの目を見て言った。
5分間のタイムトラベルにかかる53万円は、母から北里弁護士が私たち姉弟に届けてくれたお金を使わせて貰うことにした。そして、足らない分は、私と弟で半分ずつ出しあうことに決めていた。
18年前、あの時の母に会いに行く。
これ以上、このお金に相応しい使い道は無いように思われた。
あの時、あの場所に現れた光る母に会って、そして聞きたい。
あなたは誰ですか?
本当に私たちのお母さんなのですか?
私たちを大切に思っていたのですか?
だから、助けてくれたのですか?
今、現に生きて、私たちを援助しようとしている母とは心の距離があった。記憶の中の、あの日のお母さんこそ会いたい人だった。
だから、あの人に直接会って聞きたい。
ひょっとしたら、私の妄想かも知れなかった。
でも、構わない。
あの日のお母さんと、泉本百合という人。
同じ人なら、素直に受け入れよう。
もし、私の妄想ならば、母親と言う幻想を吹っ切って生きる。
そう決めていた。
そのために、このお金を使わせて貰うのだ。

「では、契約書に確認のサインをお願いします。」
「はい、分かりました。」
そう言って、私は真島さんの用意した契約書にサインをした。
「では、お支払いはどうされますか?」
「今日用意して来ました。」
かかる費用は事前にネットで把握していた。そして、バッグの中から、53万円の入った封筒を取り出して、真島さんに手渡した。
その封筒を両手で丁寧に受け取った真島さんは、お金を処理するためにしばらく姿を消していた。
そして、カタログと領収証を入れてあると言う分厚い封筒を渡しながら、私たちを隣の部屋へと案内した。
まず、私は真島さんの話にあったメモリアル・スキャナーと言う装置の前に座らされた。
装置と言っても、拍子抜けするくらい簡易なもので、赤いクッションのきいたソファに座らされ、頭全体を覆うディスプレイを被る、それくらいのものだった。
ディスプレイの内部は、ミニシアターになっていて、どこまでも続く緑の草原が映し出されていた。そして、そこを心地の良い風が吹き抜けていく。仮想現実なのに、その心地の良さに誘われて、ついウトウトしてしまった。しかし、夢心地の反対側では、眩しい光が頻りに明滅していた。それで、なんとなく私の記憶を調べているんだなと感じていた。
そして、「はい、終了です」と真島さんに声をかけられて、私は夢心地を破られた。
時間を確かめると、ディスプレイを被ってから、まだ2、3分しか経っていなかった。
「もう、終わりですか?」
余りのあっけなさに、私は真島さんに尋ねずにはおれなかった。
「はい、期間が特定されていたので、時間がかからずに済みました。では、今からマッチングを開始します。」
そう言って彼は画面に向かって、私の告げた単語「光るお母さん」と「いつかお母さんのことを許してね」を入力した。
やがて、満足そうに真島さんは振り返ると、「18年前の8月23日、午後18時34分に、『光るお母さん』と言う単語が現れています。そして、約5分後に、今度は、『お母さんのこと』『許してね』が記憶されています。タイムトラベル・ポイントは、ここで間違いないでしょう。」と告げた。
あの日、私の心に刻まれたあの記憶。
科学技術の進歩が、私の心の映像を白日にさらした。そして、それは痛痒いような不思議な感覚だった。

「では、タイムトラベルの日取りを決めていただきます。」
その日の最後はタイムトラベルの日程の調整だった。それに対して、私と弟が一緒に休みを取れる1週間後を回答した。
それから、1週間、もどかしいような、また怖いような感覚で時間が過ぎていった。
私と弟は、特に話し合うようなことはなかった。おそらく私同様、弟も心の中に自分の思いを封じていたのだろう。
ただ、この間に私は北里弁護士に連絡を入れていた。
母からの50万円は有効に使わせて貰いたいこと。しかし、だからと言って、決して母を受け入れたわけではないこと。
ただ、受け取ったお金については、お礼状を書きたいので、北里弁護士から母に渡して貰いたいこと。
そして、弟に対する援助の申し出に対する回答は、もう少し時間が欲しいこと等を伝えた。

そして1週間が過ぎ、タイムトラベルの日がやって来た。
タイムトラベルの拠点、T・T・Lが言うところの『ステーション』は、街中でよくランドマークになっている目立つ建物の中に存在していた。それは、T・T・Lの親会社である大手電話会社が運営している巨大なデータセンターだった。
何故、そこに『ステーション』が作られているのか、その理由について真島さんはこう説明してくれた。
「タイムトラベルとは、非常に繊細な作業です。もし、その最中に停電等で システムがダウンするようなことになれば、お客様にどんな影響が出るか分かりません。そのため、どんな事態でも安定的に電源が供給される場所である必要があります。
また、その間、通信回線を流れる情報は、お客様のプライバシーに関するデータになります。その秘匿性を確保するためにも、堅牢なセキュリティを保証できる場所が選ばれたのです。」
私達T・T・Lの顧客が入ることができる区画は、データセンターの巨大なサーバールームとは隔離されたエリアに設けられていた。
建物のT・T・Lと書かれた入り口を入ると、そこには真島さんが待っていた。

「さあ『ステーション』の心臓部へどうぞ。」
真島さんが先導して、建物の奥へ奥へと私たち姉弟は進んでいった。
その間、いくつものセキュリティがあり、そこを真島さんの権限で通り抜けて行く。
やがて、たどり着いた一室は、まるでSF映画に出てくる宇宙線の機関室のようだった。
高さ3メートルほどのアーチ型の部屋に、縦横無尽に光が飛び交っていた。そして、その光の源は、チカチカ光る数知れぬほどのメカの集積だった。そして、地鳴りのような低い機械音が部屋全体を満たしていた。
「わあ、流石タイムマシンですね。」
弟が目を輝かして言った。
しかし、いたずらっ子のような表情を浮かべて一言を付け加えた。
「でも、随分前時代的な設定ですね。」
それに、思わず表情を崩して真島さんが応じた。
「いやあ、流石。お見ぬきですね。これらの機械は全て装飾です。ステーションのコアは、データセンター奥深くの仮想空間に存在しています。そして、ここにあるのは、その仮想空間に接続するためのインターフェースだけです。」
そして、真島さんの操作で壁の一部が開き、中からベッド型の機械が現れた。
「ここには、このタイムトラベル用のインターフェースは全部で5機あります。そして、このインターフェースを通じて、お客様の過去へとアクセスをします。
では、藤間様、こちらへお越しください。」
彼に導かれるまま、私はベッド型のインターフェースに横たわった。

再会

「さあ、ゆっくりと呼吸を整えながら、身体の力を抜いて下さい。
私は、タイムトラベルを目の前にして、とても気持ちが高ぶっていた。しかし、このベッドには、何か睡眠の導入を促す装置がしかけられているのか、真島さんの声を聞きながら、だんだんとまぶたが重くなってきた。
夢心地の中で、何か大きな蓋のようなものが身体に覆い被さるのを感じた。
その蓋の裏側は、張り巡らされた回路の光で満たされていた。私の意識は、その光の中、底へ底へと滑り落ちてゆく。

そして、気がつけば私は汽車に乗っていた。
これは夢を見ているの?
周りを見渡しても乗客は私一人だった。しかも、私の着ていた服も、そう、まるで20世紀初頭の貴婦人のような姿に変わっていた。
下に擦りそうなロングスカートに、厚手の生地で作られた上着、そして下にはフリルのついたシャツを着ていた。
「藤間様、ご気分はいかがですか。」
何処からか、真島さんの声がした。
私は、声の出所を探したが、スピーカーらしきものは見つからなかった。
「藤間様、そこはあなたの心の中に投影された仮想世界です。そして私は、今あなたの心に直接話しかけています。」
つまり、今私は夢を見ていると言うこと?
汽車に乗って、たった一人で旅をしている貴婦人の夢。
そして、汽車の窓から見える光景は光の海だった。
何だろう、あの眩しいものたちは。
光の海は、赤や青、オレンジのグラデーションを描いている。
目を凝らして見ると、その光の一つ一つは、無数の星が集まった銀河宇宙だった。
私を乗せた汽車は、無限に続く星の海を走っていく。
やがて、汽車の進む方向に、大きな黒い影が見えてきた。
あっ、ブラックホール?
そう思う間もなく、汽車は黒い大きな口に飛び込んでいき、周りは真っ黒な闇に満たされた。
そして、汽車の窓に私の姿がハッキリと映し出された。

あ、あなたは。
お母さん・・・。
そこに映し出されたのは、18年前、夕闇の中で出会った光るお母さん、その人だった。
羽のついた大きな帽子、目立つボタンの、肩の張り出した洋服にショールを羽織っている。そして、窓に映る顔は、紛れもなく毎朝鏡で見ている私の顔。
でも、あの日のお母さんの顔だった。
私、だったのか・・・。
18年前、私と瀕死の弟を救ったのは、私自身だった。
彼方の時を超え、未来からやってきた自分が、5歳の私を救った。
自分の中で何かがカチリと音を立てて、心の鍵が開いた気がした。
そして、気がつけば、私は涙を流していた。
どうしてだろう。
何も悲しくないのに。
でも、今私がここにいるのは、お母さんから貰ったお金があったから。だから、私は、私自身を救うことができる。
不思議な縁が絡みあっていた。
ならば、私たちを助けたのは、やはり母なのか。
母を振り切って生きてきたはずの私たちが、結局その愛情の中にいる。
口惜しいような、申し訳ないような感情が湧きあがってきて、どうしようもなかった。
私たちは、今更親子を名乗れる間柄にはなれないかも知れない。
でも、弟に対する援助は受けても良いのではないか。それが唯一の親子の絆なのだから。
そして、帰ったら、それを弟の真輝にも伝えようと気持ちを固めていた。
「藤間様、間もなく18年前に到着です。ご準備ください。」
真島さんのアナウンスが聞こえてきた。
前に光が見えてきた。
もうすぐ、トンネルを抜けるのだ。
そして、18年前の私に会いにいく。
彼方からの伝言を伝えるために。

(おわり)

22.彼方からの伝言 #4【彼方への旅】

f:id:FairWinder:20160304010621j:plain
注意:この作品はフィクションです。実在の人物、団体とは一切関係ありません。

彼方への旅

私は仕方なくアパートに封筒を持って帰り、弟に今日聞いたことを話した。
弟が医者の道を目指せるよう支援したいと言う母の申し出を伝えた時、彼の表情は複雑だった。
経済的な理由で絶対無理だと思っていた医師への道が急に開けたのだ。お金の出所はともあれ、彼の心が揺れるのも仕方無かったろう。
だが、援助を受けることは、生涯母に負い目を感じることになる。それは、弟の真輝にとって耐え難いことに違いない。
母親のことは、もう関係のない人間として吹っ切って生きていくしか無かったのだ。思い出せば、ずっと弟を蝕んだ恨みの感情が蘇る。
「俺、分かんない。ちょっと考えるわ。」
そう、顔に苦しそうな表情を浮かべて言った。
一方、私の持ち帰った封筒には、
「中身確かめた?開いてみたら?」と興味を示した。
「嫌よ。開けずに、北里さんの事務所を訪ねてそのまま返してくるんだから。」
「でも、中身も見ずに返したら、向こうが受け取り拒否した時に困らない?」
確かにそうだ。
あまり気は進まなかったが、弟の助言に従って封筒にハサミを入れた。封筒は2重になっており、厳重に包装されていた。
中を探ってみると、厚みのある小ぶりの封筒と何かの覚え書きのようなものが入っている。
そして、小ぶりの封筒を取り出して中身をあらためた弟が、ギョッとした顔をした。
「お姉ちゃん、これ全部お金だよ。50万円くらいあるよ。」
「えっ!」
何なの?そんな大金。
当座の役に立てろなんて、要は好きに使えってことでしょ。
とても金銭感覚についていけない。
そこで、すぐに教えて貰っていた北里弁護士の携帯に連絡をした。
「はい、北里です。あ、藤間さん、昼間はお疲れ様でした。」
「あの、北沢さん、困ります。やっぱり、こんな大金受け取れません。返します。」
「と、言われましても、私も言付かっただけですから。返されても、如何ともしようがありません。」
「なら、泉本百合さん、いえ、母に直接返します。」
「ですが、同封した覚え書きを見てくださいよ。」
北里弁護士にそう言われて、封筒に入っていたもう一枚の紙を取り出した。
「いいですか。そのお金は、お母様があなた方に贈与する意思を持って、私どもに預けられたものです。そして、その覚え書きは、間違いが起きないよう、お母様の意思を私どもの弁護士事務所が書面にしたものなのですよ。そこまで、きっちり手続きを踏んでおられるお母様が、返されたお金を受け取ると思いますか?」
「でも、一方的過ぎますよね。」
私は、北里弁護士の抑えつけるような言い方に反抗した。
「私は、まだ母を認めた訳ではありません。」
そして、しばしお互い沈黙が続いた。やがて、その無言の行を破ったのは北里弁護士の方だった。
「別に、お母様はあなた方ご姉弟に許してもらったり、認めて貰おうなんて虫の良いことは思ってはいないでしょう。お母様は、自分のして来たことに向き合おうとされていますから、どう思われるのも覚悟の上でしょうね。でも、手元にいる3人のお子さん同様、あなた方も自分の子供です。片や、惜しみなく愛情を注ぎながら、もう一方の子供たちに全く何もできないことに耐えられないのだと思いますが。」
愛情って、こと?
何を今更。
だが同時に、あの時私たちを見殺しにした母と、私たちを助けに来てくれた光る母が頭の中で交錯した。
今の母の気持ちが本物ならば、あの日の優しくて暖かかった母のイメージと重なる。
ても、あの後、18年も放ったらかしにした非道い母親でもある。私たちがもう自分の力で歩けるようになってから、もう母親を必要としなくなってから、救いの手を差し伸べるだなんて、今更過ぎる。
「あの、もう少し考えさせてください。」
そう言って私は携帯を切った。

「いっそのこと、パーッと無駄遣いしちゃえば?」
弟の真輝がことも無げに言う、
「ちょっと簡単に言わないで。」
「どうしてもくれるって言うんだから貰っておけば。でも、あなたのことは認めた訳じゃない。だから、ツマラナイ使い方をしてガッカリさせてやるんだ。」
「もう!」
そんな単純には割り切れない。
このお金に手をつければ、母親と縁を持つことになる。負い目が生まれる。
まだ、気持ちの整理ができていないのに、母親の思惑に取り込まれたくはない。
「私には分からない。あの人をお母さんと呼んでいいのか、どうか。
一週間、ううん、18年も私たちを放ったらかしにしたんだよ。もう他人と一緒でしょ。それを急にお金を渡したり、助けたいと言ったり、正直気持ちが悪い。
弁護士事務所が間に入ってくれていなければ、どこかの新手の詐欺師かと思うわ。」
その反面、心の隅にあの優しかった光る母の面影が残っていた。かなうなら、もう一度あの日の母に会って確かめたい。
あなたは誰ですか?
どこにいるんですか?
どうして、助けてくれるんですか?
私たちを愛しているんですか?
もしあの日の母が生きていて、私たちの目の前に現れたのだったら受け入れよう。ううん、会って話がしたい。
でも、泉本百合とか言う人じゃない。やっぱり、あの人は私の記憶の光るお母さんと重ならない。だから、会いたいとも思わない。
今となってはかなわないけど、あの日に戻って確かめたい。
「ねえ、真輝ちゃん、時間旅行とかできないかな。」
私は弟に何の気なく聞いてみた。
私は軽い気持ちだったが、弟は何か腑に落ちたように携帯でネットを検索し始めた。
その表情に何か不思議な確信のようなものが読み取れる。冗談でやっている訳ではなさそうだ。
やがて、「あ、あったよ、お姉ちゃん。これなんかどうかな。」と携帯に表示された企業広告を見せてくれた。
「どうせ、使う当てのないお金だし、ダメもとでいいじゃん。」

次の休みの日、弟の真輝に伴われてきたのは、駅前の巨大な商業ビルだった。
エレベーターで33階まで上がって降りたところは、全体が大手電話会社に占められているフロアだった。
その一角に目立つ文字で、「T・T・L」と書かれている。
私たちが目的としている会社、「T・T・L」は、タイム・トラベラーズ・ラボラトリィの略語で、簡単に言えばタイムトラベルをサービスする会社らしい。
日頃馴染みのある大手電話会社の100パーセント出資子会社で、営業を開始したのはまだ最近だった。なにしろ、提供しているサービスがタイムトラベルだから、世の中に受け入れられるまでは時間がかかる。取り敢えず、ネットだけで告知して消費者の反応を見るらしい。
会社の読み通り、ネットの一部ではかなり噂になっていた。(もっとも、歴史を書き変えて人類が滅亡するぞとか、都合の悪い奴を過去で殺す犯罪が増えるぞとか、否定的なものも多かったが)
弟も、そんな話をネットで聞きかじって、この会社を知っていたらしい。
「あの、今日予約をしている藤間です。」
弟が受付で名乗ると、「藤間様、お待ちしておりました。」と暖色を基調にした接客スペースに通された。
やがて、姿を現したメガネの担当者は、接客担当というより、むしろ研究員のような風貌だった。
「初めまして。私は当T・T・Lの主任技術者の真島と言います。」
名刺を出しながらメガネ氏は名乗った。
「あの、技術の方が直接担当するんですか?」
意外そうに弟が尋ねた。
「はい、なにしろ、こう言う会社ですから。なかなか理解を頂くのが難しくて。せっかくネットの広告を見て足を運ばれたお客様も、大抵は半信半疑なんです。だから、私たち技術の一線にいるものが直対応してご安心いただいているんですよ。」

「あの・・・。」
私は気が急いて、つい口を挟んだ。
「本当に時間旅行ができるんですか?」
「はい。もう少し分かりやすくご説明しますね。まず、タイムパラドックスと言うのは聞かれたことがありますか。」
誠実な人柄らしく、真島さんは落ち着いた口調でゆっくりと説明を始めた。
「はい、言葉だけは。」
「タイムパラドックスとは、例えば、私が過去に戻って自分を殺したとします。すると、未来の自分もいなくなりますよね。」
「はい。」
「だったら、過去の自分を殺したのは誰ですか?」
「あっ・・・。」
「だから私たちは決して過去には戻れないと言うのが、タイムパラドックスです。
ですが、実際はそうでありませんでした。
川の流れに例えると、水は通常は一方通行です。そこへ、こう、水の流れを妨げる堤のようなものを作るとします。」
そう言って、右手で水の流れるところを、左手で水の流れを堰き止めるところを実演してみせた。
「すると、流れを妨げられた水は、行き場をなくしてクルクルと渦を巻きます。これを時間でも人為的に引き起こしてやる訳です。そして、時間にできた渦の中では、過去と未来が干渉し合うのです。」
真島さんは、右手の人差し指を立ててクルクルと回して見せた。
「つまり、過去と未来の接点を自由に作り出せると言うことですか。」
理系の弟は目を輝かせて話に加わった。
「理論上はそうです。ただ、どの過去にでも自由に戻れる訳ではありません。まず、戻れる過去はせいぜい数十年前で、しかも旅行をされる方の過ごして来られた記憶の過去にしか戻ることはできません。
これは、時間旅行が広範囲に影響を与えないように、なんらかの規制のようなものがかかっている為と考えられています。
また、現在の技術では、私たちの実体を送るまでには至っておりません。私たちのビジョン、すなわち映像を送るのが限界なのです。」
「でも、それでは、仮想現実と変わらない気がしますが。」
「確かに、過去へのコンタクトは、私たちの用意した『ステーション』と言うバーチャルリアリティ、つまり仮想世界から行います。
実際、時間旅行を体験された方の中には、映画を見てきたようだったと感想を言われる方もあります。ですが、仮想現実との違いは、本当に過去に干渉できるところなんです。」
それに弟は、えっ、と言う顔をした。
「それって、過去を書き換えられると言うことになりませんか?」
「そうです。タイムパラドックスが現実となります。」
「過去とか未来がお互い干渉し合ったら、その影響は終わりがないですよね。無限ループのような状態に陥らないですか?」
更に弟は言葉を継いだ。顔はすっかり上気して、会話が楽しくてたまらないという様子だ。
「本来、原因から結果に対する関係は、一方通行のはずです。それが、結果が原因に影響を与え始めたら、原因と結果、そして結果と原因でとりとめのないことになってしまいます。
まるで、合わせ鏡のようなものです。」
深くうなづいて、真島さんは返答を返した。
「感心しました。よく勉強していらっしゃいます。時間理論の初歩の考え方です。そして、過去とか未来の干渉によって生じたエネルギーは、ついに行き場をなくして、宇宙規模の破壊をもたらすと唱える科学者もいました。
ですが、ご心配なく。このパラドックスは、既視未来と言う言葉で説明ができるのです。」

(彼方からの伝言 #5に続く)

21.彼方からの伝言 #3【母のそれから】


注意:この作品はフィクションです。実在の人物、団体とは一切関係ありません。

母のそれから

それから、一週間後、泉本百合の代理人の北里弁護士から、また接見を求める連絡があった。
今度は、弟と2人、市内のホテルで会いたいと言う申し入れだった。
「どうする?」
私は弟に聞いた。
「俺、悪いけどパス。」
予想していた答えだった。
あのことは心の中に深く沈めて、そのまま葬りたいのだろう。そして、それが彼なりの過去との向き合い方なのだ。
「じゃあ、私だけ行くね。」
「無理しなくてもいいんだよ。」
でも、私には弟とは違う事情がある。
あの日の母親をずっと光として生きてきた、と言う事情が。そして、そのことに向き合わなければ、これからも生きては行けない気がしていたのだ。

ホテルには、少し早く着いた。
吹き抜けの高い天井。あまり見上げていると、後ろにひっくり返りそうだ。
こんな穴をあけておくなら、部屋にすればたくさん泊まれるのに、そう誰もが素直に思う疑問を、私も例外なく持った。
その時、斜め後ろから急に声をかけられた。
「お待たせしました。」
「あっ、はい。」
ホテルの吹き抜けを思いっきり仰いでいた私は、いきなり虚を突かれて、調子の狂った返事を返した。
「あ、すみません。驚かすつもりはなかったんですよ。」
少しバツの悪い思いをして振り返ると、そこには、前回と同じく隙のない服装に身を固めた弁護士の北里が立っていた。
「さ、こちらへ。レストランが予約してあります。」
そして、北里弁護士は私を、フロアと同じ階の洋食レストランへと誘った。
昼の時間までには間があったので、彼はコーヒー2つと、私にはあとスイーツをオーダーした。
「ここのスイーツ、評判なんですよ。だから、一度あなたにも食べて貰いたかったんですよ。」
弁護士は、ソツなくそう口にする。
私は、と言えば、彼の向かいの椅子に少し居心地が悪そうに身を縮めていた。
「少し気持ちの整理はつきましたか。」
「はい、おかげさまで。」
「この前は済みませんでした。唐突に、お母様の話をしてしまって。」
「あの・・・。」
私は、この一週間心のなかで繰り返してきた疑問を口にした。
「母は、私たちに会いたがっているのですか?」
「う〜ん。お母様は、やっと最近過去と向き合うことができるようになりました。それまでは、深く心の奥に沈めて封印していたのです。」
北里弁護士は、あれからの母がどのように生きてきたかを語った。
~・~
父親の違う2人の子供を抱え、毎日生きていくだけで精一杯だった母。生活のためにかなり危ないこともしたし、いつも複数の男性と関係を持っていた。しかし、やがてそれも行き詰まった。親や親戚とは、もうとっくに縁が切れていた。お金も借りられるだけ借り尽くして、もう借金を頼める相手も、頼れる相手もいなかった。
(ああ、もういいや)
そう心が呟いた。
そして、着の身着のまま、僅かに残った札を握りしめてアパートを飛び出した。
そして、何日も街を彷徨った。あの子たちはどうなったのか。でも、もうどうでも良かった。
最後には、港の桟橋から海に身を沈めて、そのまま海の藻屑と消えようと思った。
遠ざかる水面に映る太陽を見て、水の底に沈みながら思った。これで、全て終わるんだ。でも、きっと私、地獄に堕ちるんだ。
水面の太陽が見えなくなり、周りを暗い水が包んだ時、急に苦しくなってもがいた。
息が限界だったのだ。
苦しくて、死のうと飛び込んだはずが、身体は必死に生きようとした。もがいて、もがいて、手足は身体を水の上に運びあげようとした。
そして、ついに水の上に顔を出して、深く深く息を吸った。
ああ、どうしても死ねなかった。
こんな、私でも生きていくしかないのか。
岸にたどり着き、半身を水に浸しながら思った。
(もう藤間百合は死んだ。明日からは別の人生を生き直そう)
そして、生涯で最後に一回だけ街で身を売った。得たわずかばかりのお金で街を離れ、地方へと落ち延び、身元を偽って隠れるように暮らし始めた。
手にしたのは、牧場での住み込みの仕事。
過去を心に深く封印して、ただ真面目に、そして目立たないように勤めた。
そんな彼女を見初めた男がいた。
その牧場を経営していた泉本だった。
泉本は、その時50だった。
妻には10年前に先立たれ、仕事だけを生き甲斐に男やもめを続けていた。
百合は、牧場に来た時から気にはなっていた。
農繁期でもあり、働きたいと言ってきた百合を事情も聞かずに受け入れたが、やつれた様子と言い、抱えている後ろ暗い雰囲気と言い、何か事情のある女なのは間違いなかった。
だが、見るものの気持ちをかきたてずにおかない容姿と、儚げな姿に泉本はだんだん惹かれていった。そして、ある時、意を決した泉本は、どんなことでも全て受け入れるから後添いになって欲しいと百合に懇願した。
百合は、この唐突の申し出を拒まなかった。
そして、自分の本当の名前と、今までしてきたことを全て泉本にぶちまけた。
自分が子殺しの鬼母であることも。
百合にしてみれば、こんな自分を受け入れてくれるはずなどないと思っていた。そして、牧場から追い出されるだろうとも。全ては、自分のしてきたことの罰なのだ。だから、甘んじて受けよう。
しかし、泉本は全てを受け入れた。そして、百合を妻として迎えいれた。子殺しの犯罪者かも知れないと知りながら。
だが、泉本はしばらく百合を世間から秘匿せずにはおれなかった。もし、公文書に百合の名前が出れば、そこから居場所を特定され警察の手が伸びるかも知れない。そこで、しばらくは内縁の妻としていた。
そして、泉本は百合に内緒で、彼女の子どもたちのその後を調査させていた。その結果、子どもたちは生き延びて、施設に収容されていることを知る。
そこから、子どもに対する傷害の時効が成立するまで、百合とは内縁関係を続けた。やがて、その出来事から10年目、泉本は百合と正式に婚姻関係になった。
前の妻との間に子どものいなかった泉本だったが、この間、百合との間には3人の子どもができていた。
そして、今から3年前百合は、泉本の口から彼女の最初の子ども達が生きていることを告げられた。
長女の美瑠は成人し、長男の真輝は高校を卒業して姉と共同生活を始めていた。
泉本に子どもたちの消息を聞かされた百合は動揺した。
恋しさゆえではない。封印していた過去をまた目前に突きつけられたからだった。
それから、百合の葛藤の3年間が始まる。
しかし、やっと過去と向き合う決意をした百合は、子どもたちにせめての償いをしたいと思い、北里を通じて美瑠に接触をした。
~・~
北里弁護士は母の身の上話を、たっぷり1時間近くかけてした。
すべて彼が何度も母から聞かされた話だった。
気の毒な人だとは思う。
でも、やっぱり納得がいかなかった。
なぜ、今更なんだろう。
お互いにとって辛い過去だったんだ。そのまま眠らせておけば良かったんじゃないか。
「さあ、せっかくのスイーツです。食べてください。」
そう北里弁護士に勧められて、私はハッと我に返った。
「失礼ですが、あなたのような美人がそんな怖い顔をしていたら勿体無い。」
「それ、褒めてるんですか?」
「はい、お母様に似て、とても美人でいらっしゃる。」
母に似ている。
私に生きる光を与えてくれた母。でも、生きていると教えられ、激しく憎んだ母。
その母親に似ていると言われても、素直には喜べなかった。
それでも、せっかくの彼の好意を無にすまいと、スイーツをスプーンで口に運んだ。
甘あい。
見る見るうちに甘みが広がって、口の中がとろけそうになった。
思わず硬ばっていた顔も緩んだのだろう。
「そう、そう、その顔ですよ。やはり、美人は笑顔ですね。」
北里弁護士がそう言った。
そして、彼は私の緊張が解けたのを見て、
「さて、本題に入ります。」と続けた。
「実は、お母様から、あなた方を援助したいと申し出がありました。」
援助?あ、お金か。
情がないとも思うが、私たちの関係に相応しいとも思う。
今更顔を合わせて、傷に塩を塗り込むようなことをするより、お金で過去の清算をする。確かに、その方がサッパリする。
だが、そんなスッキリしないお金は受け取りたくない。私たちは、もう自分の足で歩き出しているのだ。
思わず硬くなった表情の私に構わず北里弁護士は続けた。
「泉本さんは牧場の経営をしておられます。正直に言って、お母様が経営に加わるまでは、維持していくので精一杯でした。そこへ、お母様が高級花卉の生産を思いつかれて、一気に事業拡大をすることができたのです。いろいろとご苦労もされたでしょうが、今では地元では一番成功した農家のモデルとして注目されています。
家計にもかなり余裕が生まれました。しかし、お母様は無駄に贅沢するより、あなた方を援助したいとご主人に頼まれたのです。もちろん、泉本さんにも異存はありませんでした。
ですから、このお話を快く受けていただけないでしょうか。」
「しかし・・・。今更。」
「でしょうが、私たちも独自に調査いたしました。あなたは高校の頃、看護師になる夢を抱いておられましたよね。それを経済的理由で断念されている。弟さんに至っては、医学部に合格する力がありながら、これも諦めた。
もし、お母様の援助があれば、今からでも十分その夢を実現できるではありませんか。」
「わ、私は、もういいです。」
「なら、弟さんは?夜間に通ってまで学業を続けるのには、弟さんなりの志があってのことでしょう。なら、お母様の援助で人生を変えられるのではないですか?」
そうかも知れない。
いずれにしろ、これは弟の問題だ。
私が、自分の感情で判断してはいけない。
「・・・。」
しばし沈黙をする私の前に、北里弁護士は厚みのあるB5サイズの封筒を置いた。
「これは、当座役に立てて欲しいと預かったものです。少なくとも、これを受け取っていただかなくては、私は子供の使いになります。」
「そんな・・・。」
やめて下さい、と言おうと思った時、私は遠くの視線を感じた。思わずその方向に視線を移すと、レストランの奥で40くらいで裕福な身なりの女性が腰掛けて、こちらを見ている。
(まさかお母さん?)
そう思い、それを問いかけようと視線を北里弁護士に戻した時、しかし、彼はレストランの注文票を持って席を立ってしまっていた。
「あの・・・。」
思わず北里弁護士を声で追いかけたが、さっさとレジで会計を済まそうとしている彼には届かなかった。
それで慌てて視線をレストランの奥に戻した時、その女性の姿も無かった。
ふと、見ると北里弁護士が残した封筒が置かれている。これは受け取れないと思い、今まさにレストランを出ようとしている彼を追いかけた。
しかし、レストランの入り口から彼の行方を追ったが、どこへ行ったのか、北里弁護士の姿はかき消えていた。
まるで、キツネにつままれたようだ。
後には、北里弁護士からもたらされた母からの申し出と、不審な封筒だけが残されていた。

(彼方からの伝言 #4に続く)